子 (わけわからずに笑う)
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間。
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真紀 もう出来るの? それ。(あさ子の持っている人形を頤《あご》で示す)
あさ子 も少し。
真紀 今、何処をやってるの?
あさ子 裾廻《すそまわ》しんところ。
真紀 此の間中のと、また違ってるの?
あさ子 ――。
真紀 ねえ。
あさ子 え?
真紀 また違うのをやってるのかい?
あさ子 そら、とうとう間違えちゃった。母さん、いろんなこと言うから、ほら(示して)こんな。
真紀 だってあなた、さんざんひとに喋《しゃべ》らせといてちっとも聴いてやしないじゃないの。
あさ子 だから、何よ。なに言ってたの、今。
真紀 つまり、ね、あら厭だ、つまりなんて話じゃなかったのよ。少しは真面目に他人《ひと》の話を聴くものよ。
あさ子 真面目に聴いてるわ、あたし。でも、何の事だか、訳が分らないんだもの、これ以上真面目になんてなれやしないでしょう。
真紀 だからさ、一体どうする考え? そんなに次から次へお人形の着物ばかり慥《こしら》えて、お人形屋でも出すつもり?
あさ子 出来たら、そうしたいわ。
真紀 そんなこと言って、母さんを揶揄うんじゃないでしょうね。
あさ子 どうして?
真紀 どうしてって、そうじゃないか。
あさ子 でも、あたし、することがないんだもの。
真紀 することならいくらでもあるじゃないの、他に。
あさ子 どんなこと、じゃあ?
真紀 そうね、お茶をたてるとか、お裁縫だとか。その他にも、花を活《い》けるとか、それからまた時にはピアノをさらうとか、何だってあるよ。それだけあれば、為《す》ることが無いなんて言やしないな、母さんなら。
あさ子 そうかしら。
真紀 贅沢《ぜいたく》よ、あなた。
あさ子 でもね、あたし薬専へ行ってた間、ちっともあんなことしなかったでしょう。だからこの頃になって急にあれやこれや一遍にやり出すとね、母さん怒っちゃ厭よ、怒りゃしないわね、あたし、あんなものがみんな、なんだか、こう大変な大仕事みたような気がして仕方が無いの。木曜がお茶で、土曜がお花、月曜がピアノでその他の日がお裁縫でしょう。だからそのほかの時に、独りでやってみる気なんて、起りやしないの。そのくせ、じっとしてると、……長い間学校にいた所為《せい》かしら。
真紀 ――。
あさ子 時々、あたしね、お友達のことなんか、考えてみるのよ。野田さんやなんか、どうしてるかしらん、なんて。
真紀 お嫁入りなすった方かい。
あさ子 医学部の研究室にいるひとよ。
真紀 ――。
あさ子 あたしもしばらく、あそこにいたわね。あたしが家へ帰ることにきまったので、代りにあのひとが行ったのよ。
真紀 あなたは、今でもやっぱり、あの、理化学研究所に入らなかったことを、何とか思ってるんじゃない?
あさ子 ――。
真紀 そりゃ、惜しいには惜しいだろうけど、先生方もあんな風に言って下すったのだし。
あさ子 (笑って)母さん、あたしもう何とも思ってやしない、それなら。
真紀 そう、そんならいいけど。
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間。
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あさ子 此の間、慥えた人形ね。収さんが持って帰ったのよ。あれが一等出来が悪いんだのに。
真紀 どうして、そんなのを持って帰るのだい、あの人。
あさ子 しらないわ。変な恰好《かっこう》してるのよ、そりゃ。他のと取り換えるからって言うのに、これでなくちゃ厭だってきかないの。
真紀 変梃《へんてこ》な所はあなたの感じが出てるんだろう、きっと。
あさ子 ひどいわ、母さん。
真紀 あれで、いろんなことをやってみるらしいね。
あさ子 収さん? 建築の写真なんか集めてるのよ。
真紀 文学部なんだろう。
あさ子 ほんとは芝居の勉強がしたいんだって。
真紀 芝居って。あの芝居かい、歌舞伎やなんかでやっている。
あさ子 さあ、あたしにもよくわからないんだけれど。
真紀 変なものをやるんだね。他にすることがありそうなものを。
あさ子 だって、そりゃ、仕方が無いと思う。母さん嫌い? あのひと。
真紀 好きさ。いい人だもの。けどやってることはね。
あさ子 文学?
真紀 あんまり好きじゃないね。
あさ子 あたし達は解らないのよ。家じゃ、みんな化学なんだもの。
真紀 それで、あなたにも始終《しょっちゅう》そんな話をするの文学とか、芝居とか。
あさ子 ちっともよ。あたしがそんな話をし出すと妙な顔をするのよ。
真紀 解からないときめてるんだね。
あさ子 きまりが悪いのよ、きっと。赧《あか》い顔するのよ。
真紀 何考えてるんか、わからないね、若い人って。それじゃ、いつも、どんな話をしてるの?
あさ子 話なんてしやしない。
真紀 でもピアノのお稽古が済んだら直《す》ぐ帰っちまうってわけじゃないでしょう。
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