紀 (収に)ピアノの稽古を止すんだって?
収 ――。(笑っている)
真紀 止さなくって、いいんだろう。折角、母さんに頼んであげたんじゃないの。
収 ええ、もう止さなくってもいいんです。だけど、男がピアノって、可笑しいじゃありませんか。
[#ここから3字下げ]
単調なソナティヌ。
三人ひっそり笑いながら聴いている。
めいめいがそれぞれの思いを追っていて、まるで聴いていないようででもある。
夕闇の色が濃い。
[#ここで字下げ終わり]
弘 (笑ったまま)奥さん、あなたは今日、(収を指さし)このひとに大変いけないことをなさいました、御存知ですか?
真紀 (之《これ》も笑ったまま)知っています。でもそうするより、他に仕方がなかったと思います。
収 (之も笑ったまま)わかってますよ。おばさん。あれはあれでよかった。大変よかった。
真紀 でも、あなたも悪かった。そうだろう。あなたも悪かったよ、ほんとに。
収 ほんとです。そのとおり。
真紀 何にも言わないでね、済んだことは。可哀想だから。
収 大丈夫ですよ、あのひとには責任の無いことです。
真紀 有難う。
収 僕は悪者じゃなかったでしょう。
弘 私には……どう言っていいのか……わからない。
収 何も仰言る必要はありませんよ。みんなが考えて、一番いいと思われる結果が自然に出て来たのですからね。(立上って)どら、僕もこれから、ひとつ体操でも始めようかな。(手を振ってみる)
あさ子 (ピアノを止めてふり返る)あら体操? 誰が体操をするの? 体操ってラジオ体操のこと?(ゆっくり眉を撫でる)あたしもしようかしらと思ってるの。
[#下げて地より2字あきで]――幕――

[#下げて地より2字あきで](雑誌掲載は『劇作』昭和九年十一月、初演は昭和十三年三月)



底本:「現代日本文學大系83 森本薫・木下順二・田中千禾夫・飯沢匡集」筑摩書房
   1970(昭和45)年4月5日初版第1刷発行
初出:「劇作」発行所名
   1934(昭和9)年11月号
入力:伊藤時也
校正:松永正敏
2002年3月11日公開
青空文庫作成ファイル:
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