く晴れ晴れとした気持になった。それに昼間の労れもあって、そのままぐっすり寝こんでしまった。
十
明くる朝眼を覚した時は、またいつもの小平太になっていた。けれども、昨夜立てた誓いを守って、どこへも出まいと思った。そうだ、俺はどこへも出なければいい。そして、安兵衛と勘平の後に喰っついてさえいれば間違いはない、大義を衍《あやま》るような恐れは断じてない。そう思って、彼は一日じゅう宿に引籠っていた。そして、その日は何事もなく過ぎた。
ところが、四日の朝になって、思いも寄らぬ通知が頭領の手許から一般に達せられた。それは、来《きた》る六日には、将軍家がお側《そば》御用人松平右京太夫の邸へお成《な》りになる旨、不意に触れだされた。それによって、吉良家でも当日の茶会を御遠慮申しあげることになったについては、五日の夜と極めた一条も自然延期せずばなるまい。いずれ後からまた委《くわ》しいことは通達するが、それまではかまえて静穏にしているようにというのであった。
小平太は張り詰めた気が一時に弛《ゆる》んで、妙にがっかりしてしまった。彼には討入の日の延びたということがちっとも嬉しくなかった。なるほど、五日の夜は延びた。ぼうっ[#「ぼうっ」に傍点]として考えていると、何だか仇討というようなことは夢のように遠い空のかなたへ消えてしまって、そんな日は永久に遣ってこないような気もしないではない。しかもその日は厳然としてあるのだ。それだけはけっして動かない。いつかはまた弛んだ気を引締めて、いったんほぐした覚悟をもう一度しなおして懸らなければならない。それが彼には辛かった。そんなことはとても自分の力には及ばないような気もした。
彼はもうどうする気もなかった。で、一日二日は宿に引籠ったまま、うつらうつらとしていたが、そのうちにまたおしおのことが想いだされた。そうだ、この可厭《いや》な気持から免《まぬか》れるためには、やっぱりあの女に逢いに行くほかない。なに、庄左衛門は女のために大義を衍《あやま》ったかもしれないが、俺の怖ろしいものは別にある。それは自分の心だ! こうして一人でくつくつ考えていたら、しまいにはどんなことをしでかすか分らない。そうだ、そんなよけいなことを考えないためにも、俺はまずあの女に逢わなければならない。そう思った時、彼はもう矢《や》も楯《たて》もたまらなくなって、すぐに支度をして宿を飛びだした。
が、女の家に近づいた時には、それでもまた勘平に言われた言葉が気になった。といって、そのまま引返す気にもなれないので、うじうじしながら、とうとう女の家の軒端《のきば》をくぐってしまった。
女の方では、そんなこととは知らないから、久しく逢いに来てくれなかった恨みを言うことも忘れて、心《しん》から嬉しそうにしながら、
「久しく見えなんだのは、どこかお悪かったのか。そういえば、お顔の色もようない」と、心配そうに訊ねた。
「なに、そう気に懸けてくれるほどのことでもない」と、小平太は面倒臭そうに言った。彼にはもう当座の嘘を言うのが億劫《おっくう》になっていた。といって、真実《ほんとう》のことも言われなかった。
「だって、心配になりますわ」と、おしおもさすがに言い返した。「見えると言っても見えもせず、たまたま来れば、いやな顔ばかりしていらっしゃるんだものを」
「じゃ、来なければよかったね」と小平太は気短に言った。
すると、女はすぐに気を変えた。「わたしが悪うござんした。お気合いの悪いところへよけいなことばかりお訊ねして、もう何にも申しますまい」
こう言って、おしおは相手の気を逸《そ》らすように、ほかの事に話しを移した。「わたしもあなたの妻になる身で、あんな茶店に出ていたとあっては、後々どんな障《さわ》りになろうもしれない。幸い、さる人のお世話で、今度松坂町のさる御大家の仕立物を一手《ひとて》で縫わせていただくことになりました。まあ、これを見てくださいませ。今もこんなに来ているくらいだから、どうか、わたしのことは安心して――」
「なに松坂町?」と、小平太は思わず聞耳を立てた。「その御大家というのは、何という家だえ?」
「ええ、中島伊勢様とおっしゃる大奥お出入りの御鏡師ということでございますの」と言いながら、何と思ったか、おしおはきゅうに顔を赧《あか》らめた。「何でもそこの嫁御寮《よめごりょう》は、吉良様の御家老とやらから来ておいでじゃということでございますわ」
「ふむ、そうか」と、小平太は腕を拱《こまぬ》いで考えこんだ。そういうことがあるとすれば、いっそここでこの女に大望を打明けて、その手蔓《てづる》で何事かを聞きだすようにしようかとも思ってみた。が、この間兄に言ってしくじったことを思えば、迂濶《うかつ》に打明ける気にもなれなかった。それに、
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