報告するさえ面晴《おもは》れであるのに、こんな言葉まで懸けられようとは、ゆめにも思い設けなかったのである。
彼はそれから次の間へ下って、同宿の諸士といっしょに夕飯の御馳走になった上、後から来た横川と連れだって、上々の首尾でその宿を辞した。
で、二人並んで歩きながら、小平太は相手から話しかけられても、すぐには返辞をしないほど、深く考えこんでしまった。第一には、自分の小さな手柄が太夫に認められたのも嬉しかった。が、そればかりではなかった。太夫に認められたことによって、ともすれば動揺《どうよう》しやすい自分の心が、何かこう支柱《つっぱり》でもかわれたように、しゃんとしてきた。それが彼には何よりも嬉しかったのだ。
「そうだ、ああ言ってもらえば、俺にも死ねる、立派に死んでみせられる!」と、彼は何度も心のうちで繰返した。
横川は横川で、延びに延びた討入の日取りがいよいよ決定したというので、妙に昂奮《こうふん》して、うきうきしていた。で、何かと小平太に話しかけるのだが相手は上の空で、いっこう手応《てごた》えがない。
「おい水原、最前から貴公は何を考えているんだ?」と、勘平はたまりかねて相手の肩を叩いた。
「俺? 俺は……俺はそうだ、太夫のありがたいお言葉を考えていたのだ」
「そうか」と、勘平もうなずいた。「昼行灯《ひるあんどん》の何のと悪く言うものの、やっぱり太夫は偉いところがあるね。時には何となく生温いように思って、俺なぞずいぶん喰ってかかったものだが、別に怒ったような顔もされない。いくらこちらがいきりたっていても、一言《ひとこと》あの仁《じん》から優しい言葉を懸けられると、すぐにまたころりとまいって、やっぱりこの人の下に死にたいと思うからね。人柄というか、何というか、あれが持って生れた人徳《にんとく》だろうな」
「うむ、だがしかし、ああいうお言葉を頂戴するにつけて、俺は貴公にすまないような気がする。これも貴公が手柄を俺に譲ってくれたおかげだからな」
「なに、そんなことはお互いだ」と、勘平は快活に笑った。「それに手柄を譲るも譲らないも、俺にはあの邸へはいれなかったんだからな。貴公の働きは貴公の働きだよ」
「いや、そうでない」と、小平太はあくまでまじめであった。「俺は貴公のおかげで救われた。この恩は忘れない、死んでも忘れない!」
彼はいきなり勘平の腕を掴《つか》んだまま、
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