つづけざまに頭を下げた。その眼には涙が光っていた。勘平は妙な気はしたが、相手がまじめなだけに、黯然《あんぜん》としてそれを見守っていた。
 こうして二人は長い間両国の橋の上に立っていた。

     七

 いよいよ討入は十二月五日の夜と決定して、その旨《むね》頭領大石からそれぞれ通達された。一同は一種の昂奮《こうふん》をもってそれを受取った。五日といえば、あますところ日もない。とうとう年来の宿望を遂《と》げる日がやってきたのだ。それとともに、生きてふたたびこの娑婆《しゃば》へ出てこられようとも思われない。で、それとは言わぬが、めいめいその覚悟をして、故国《くに》の親類縁者へ手紙を出すものは出す、また江戸に親兄弟のあるものは、それぞれ訪ねて行って、それとなく訣別《わかれ》を告げるというように、一党の気はいはどことなく騒《ざわ》だってきた。
 十一月も晦日《みそか》のことであった。小平太は朝から小石川の茗荷谷《みょうがだに》にある戸田侯のお長屋に兄の山田新左衛門を訪ねて行った。おりよく兄も非番で在宿していた。久しぶりに来たというので、母親も喜んで、二人の前に手打ち蕎麦《そば》を出してくれた。で、しばらくよもやまの話しをしていたが、小平太はおりを見て、
「時に兄上」と切りだした。「永い間こちらへもいろいろ御迷惑を懸けましたが、今度西国筋のさる御大身のお供をして、もう一度|上方《かみがた》へ上《のぼ》ることになりました。で、今日はそのお暇乞《いとまご》いかたがた参上したような次第でございます」
「ほほう、それは重畳《ちょうじょう》」と、兄は何も気がつかぬように言った。「わしもお前のためには、これまで縁辺をたよって、ずいぶん方々へ頼んではおいたが、どうも思うに任せぬ。そういうことになれば、誠にけっこうな次第だ。で、今度の御主人というのはやはり御直参ででもあるのかな」
「いえ、それが」と、小平太はちょっと口籠《くちごも》った。「御陪身《ごばいしん》ではござりますが、さる西国大名の御家老格……私としては、もはや主人の選《え》り好みはしていられませぬ」
「それはそうだ。武士としては、主人を失って浪人しているくらい惨《みじ》めなものはない。主取《しゅうど》りさえできれば、何よりけっこうだ。時にお前は」と、新左衛門は何やら想いだしたように言い添えた。「去年の暮にも、元浅野家の城代家老
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