門も言った。「御苦労だが、そう願うことにしよう。ところで、小平太どのの内偵は、拙者から久右衛門殿(池田久右衛門、山科以来大石の変名)に伝えようが、それよりもお身自身の口から申しあげた方がいいかもしれない。どうだな、これからすぐに石町へ同行しては?」
「は、私が参った方がよろしければ、すぐに御同道いたします」
「ああ、そうなさい。それから横川氏、貴公もその文箱をとどけたら、あちらへ参られい。このたびのことは、一つはお手前の働きでもあるから、一足先へ行って、拙者から太夫によく申しあげておくよ」
「恐れ入りました。それでは、いずれ後ほど御意《ぎょい》を得ることにしまして、私は一走り行ってまいります」と、勘平は会釈《えしゃく》して立ち上った。ちょっと間を置いて、忠左衛門も小平太を伴《つ》れてその家を出た。
二人が小山屋の隠宅へ着いたのは、日脚の短い時節とて、もうそろそろ灯火《あかり》の点《つ》くころであった。寒がりの内蔵助は、上《かみ》の間の行灯《あんどん》の影に、火桶を前にして、一人物案じ顔に坐っていた。で、まず忠左衛門から口を切って、小平太が今日吉良邸へ入《い》りこむようになった次第を紹介した。その尾について小平太も、自分が見てきた邸内の様子を落ちなく報告に及んだ。内蔵助は眼を瞑《つぶ》ったまま、じっとそれに聴き入っていたが、やがて相手の言葉が途切れるのを待って、
「ふむ、そう分ってみれば、もはや遅疑《ちぎ》する場合ではないな」と、ぽっつり口を開いた。
「さよう!」と、忠左衛門はすぐにそれに応じた。「六日の茶会《さかい》を外したら、悔《く》いて及ばぬことにもなりましょう。それがすめば、さっそく白金《しろかね》の上杉家の別邸へ引移られるはずだと、たしかな筋から聞き及んでもいますからな」
「それもある」と言ったまま、内蔵助はまたしばらく眼を瞑っていた。が、ふたたび口を開いた時は、持前の低声ではあるが、いつになく底力が籠っていた。「で、いよいよそれと決定すれば、あらためて一同にも通告するが、面々においてもその心得で、それぞれその用意をして待っているように伝えてもらいたい。それにしても、小平太、今日は御苦労であったな。内蔵助からも厚く礼を言うぞ」
「は、ありがとう存じます」と、小平太は畳に手を突いたまま、きゅうに眼の中が熱くなるような気がした。彼としては太夫の前へ出て、自分で
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