足下《あしもと》の帷幄でも、背後《うしろ》の帷幄でもない、顔が向いていた方の帷幄なのだ。彼の寝床の帷幄は側へ引き寄せられた。そして、スクルージは、飛び起きて半坐りになりながら、帷幄を引いたその人間ならぬ訪客と面と面を突き合せた。ちょうど私が今読者諸君に接近していると同じように密接して。そして、私は精神的には諸君のつい[#「つい」に傍点]手近に立っているのである。
 それは不思議な物の姿であった――子供のような。しかも子供に似てると云うよりは老人に似てると云った方が可いかも知れない。(老人と云ってもただの老人ではない)、一種の超自然的な媒介物を通じて見られるので、だんだん眼界から遠退いて行って、子供の躯幹にまで縮小された観を呈していると云ったような、そう云う老人に似ているのである。で、その幽霊の頸のまわりや背中を下に垂れ下がっていた髪の毛は、年齢《とし》の所為《せい》でもあるように白くなっていた。しかもその顔には一筋の皺もなく、皮膚は瑞々《みずみず》した盛りの色沢《つや》を持っていた。腕は非常に長くて筋肉が張り切っていた。手も同様で、並々ならぬ把握力を持っているように見えた。極めて繊細に
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