掛けを競うものには、どうも風趣が乏しいようである。花火はむしろ子供たちがもてあそぶ細い筒の火にかぎるように私は思う。
わたしの子供の頃には、花火をあげて遊ぶ子供たちが多かった。夏の長い日もようやく暮れて、家々の水撒《みずま》きもひと通り済んで、町の灯がまばらに燦《きら》めいてくると、子供たちは細い筒の花火を持ち出して往来に出る。そこらの涼み台では団扇《うちわ》の音や話し声がきこえる。子供たちは往来のまん中に出るのもある、うす暗い立木のかげにあつまるものもある。そうして、思い思いに花火をうち揚げる。もとより細い筒であるから、火は高くあがらない。せいぜいが二階家の屋根を越えるくらいで、ぽん[#「ぽん」に傍点]と揚がるかと思うと、すぐに開いて直ぐに落ちる。まことに単純な、まことに呆気《あっけ》ないものではあるが、うす暗い町で其処《そこ》にも此処《ここ》にもこの小さい火の飛ぶ影をみるのは、一種の涼しげな気分を誘い出すものであった。
白地の浴衣《ゆかた》を着た若い娘が虫籠をさげて夜の町をゆく。子供の小さい花火は、その行く手を照らすかのように低く飛んでいる。――こう書くと、それは絵であるという
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