あるところが此の「水貝」の生命で、いつの時代に誰が考え出したのか知らないが、江戸以来何百年のあいだ、ほとんど無数の民衆が夏の一日の汗を行水《ぎょうずい》に洗い流した後、ゆう飯の膳《ぜん》の上にならべられた冷奴の白い肌に一味《いちみ》の清涼を感じたであろうことを思う時、今日ラッパを吹いて来る豆腐屋の声にも一種のなつかしさを感ぜずにはいられない。現にわたしなども、この「水貝」で育てられて来たのである。但し近年は胃腸を弱くしているので、冬の湯豆腐に箸を付けることはあっても、夏の「水貝」の方は残念ながら遠慮している。
冷奴の平民的なるに対して、貴族的なるは鰻《うなぎ》の蒲焼《かばやき》である。前者《ぜんしゃ》の甚だ淡泊なるに対して、後者《こうしゃ》は甚だ濃厚なるものであるが、いずれも夏向きの食い物の両大関である。むかしは鰻を食うのと駕籠《かご》に乗るのとを平民の贅沢と称していたという。今はさすがにそれほどでもないが、鰻を食ったり自動車に乗ったりするのは、懐中の冷たい時にはやはりむずかしい。国学者の斎藤彦麿《さいとうひこまろ》翁はその著「神代余波」のうちに、盛んに蒲焼の美味を説いて、「一天四海
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