過ぎなかったであろう。その狭い往来に五、六株の大樹が繁っているのであるから、邪魔といえば邪魔であるが、電車も自動車もない時代にはさのみの邪魔とも思われないばかりか、長い堀端を徒歩する人々にとっては、その地帯が一種のオアシスとなっていたのである。
 冬はともあれ、夏の日盛りになると、往来の人々はこの柳のかげに立ち寄って、大抵はひと休みをする。片肌ぬいで汗を拭いている男もある。蝙蝠傘《こうもりがさ》を杖《つえ》にして小さい扇を使っている女もある。それらの人々を当て込みに甘酒屋が荷をおろしている。小さい氷屋の車屋台《くるまやたい》が出ている。今日ではまったく見られない堀端の一風景であった。
 それにつづく日比谷公園は長州《ちょうしゅう》屋敷の跡で、俗に長州ヶ原と呼ばれ、一面の広い草原となって取り残されていた。三宅坂《みやけざか》の方面から参謀本部の下に沿って流れ落ちる大溝《おおどぶ》は、裁判所の横手から長州ヶ原の外部に続いていて、むかしは河獺《かわうそ》が出るとか云われたそうであるが、その古い溝の石垣のあいだから鰻《うなぎ》が釣れるので、うなぎ屋の印半纏を着た男が小さい岡持《おかもち》をたず
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