ている私たちに取っては、一種の感慨がないでもない。殊にわたしなどは、かの春木座がよいの思い出があるので、その感慨がいっそう深い。あの当時、ここらがこんなに開けていたらば、わたしはどんなに楽であったか。まして電車などがあったらば、どんなに助かったか。
暗い原中をたどってゆく少年の姿――それがまぼろしのようにわたしの眼に浮かんだ。[#地付き](昭和2・1「不同調」)
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御堀端三題
一 柳のかげ
海に山に、涼風に浴した思い出もいろいろあるが、最も忘れ得ないのは少年時代の思い出である。今日《こんにち》の人はもちろん知るまいが、麹町の桜田門《さくらだもん》外、地方裁判所の横手、のちに府立第一中学の正門前になった所に、五、六株の大きい柳が繁っていた。
堀端《ほりばた》の柳は半蔵門《はんぞうもん》から日比谷《ひびや》まで続いているが、此処《ここ》の柳はその反対の側に立っているのである。どういう訳でこれだけの柳が路ばたに取り残されていたのか知らないが、往来のまん中よりもやや南寄りに青い蔭を作っていた。その当時の堀端はすこぶる狭く、路幅はほとんど今日の三分の一にも
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