三日ばかりは例のモンスーンに悩まされて、かなり難儀の航海をつづけた後、風雨もすっかり収まって、明日はインドのコロンボに着くという日の午後である。
 私はモンスーン以来痛みつづけていた右の奥歯のことを忘れたように、熱海丸の甲板を愉快に歩いていた。船医の治療を受けて、きょうの午《ひる》頃から歯の痛みも全く去ったからである。食堂の午飯《ひるめし》も今日は旨く食べられた。暑いのは印度洋であるから仕方がない。それでも空は青々と晴れて、海の風がそよそよ[#「そよそよ」に傍点]と吹いて来る。暑さにゆだって昼寝でもしているのか、甲板に散歩の人影も多くない。
 モンスーンが去ったのと歯の痛みが去ったのと、あしたはインドへ着くという楽しみとで、私は何か大きい声で歌いたいような心持で、甲板をしばらく横行闊歩していると、偶然に右の奥の上歯が揺らぐように感じた。今朝まで痛みつづけた歯である。指でつまんで軽く揺すってみると、案外に安々と抜けた。
 なぜか知らないが、その時の私はひどく感傷的になった。何十年の間、甘い物も食った。まずい物も食った。八百善の料理も食った。家台店のおでんも食った。そのいろいろの思い出がこ
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