、ここの菖蒲は風呂いっぱいに青い葉をうかべているのが見るから快《こころよ》かった。大かた子供たちの仕事であろうが、青々とぬれた菖蒲の幾束が小桶に挿してあったのも、なんとなく田舎めいて面白かった。四日も五日もあいにくに陰っていたが、これで湯あがりに仰ぎ視る大空も青々と晴れていたら、さらに爽快であろうと思われた。
 湯屋は大久保駅の近所にあって、わたしの家からは少し遠いので、真夏になってから困ることが出来た。日盛りに行っては往復がなにぶんにも暑い。ここらは勤め人が多いので、夕方から夜にかけては湯屋がひどく混雑する。
 わたしの家に湯殿はあるが、据風呂がないので内湯を焚くわけに行かない。幸いに井戸の水は良いので、七月から湯殿で行水《ぎょうずい》を使うことにした。大盥《おおだらい》に湯をなみなみと湛《たた》えさせて、遠慮なしにざぶざぶ浴びてみたが、どうも思うように行かない。行水――これも一種の俳味を帯びているものには相違ないので、わたしは行水にちなんだ古人の俳句をそれからそれへと繰り出して、努《つと》めて俳味をよび起そうとした。わたしの家の畑には唐もろこしもある、小さい夕顔棚もある、虫の声もき
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