その頃の車夫にはなかなか芝居の消息を諳《そら》んじている者もあって、今度の新富チョウは評判がいいとか、猿若マチは景気がよくないとか、車上の客に説明しながら挽《ひ》いてゆくのをしばしば聞いた。
 秋の真昼の日かげはまだ暑いが、少年もその父も帽子をかぶっていない。姉は小さい扇を額《ひたい》にかざしている。かれらは幕のあいだに木戸の外を散歩しているのである。劇場内に運動場を持たないその頃の観客は、窮屈な土間《どま》に行儀好くかしこまっているか、茶屋へ戻って休息するか、往来をあるいているかのほかはないので、天気のよい日にはぞろぞろとつながって往来に出る。帽子をかぶらずに、紙捻りの太い鼻緒の草履をはいているのは、芝居見物の人であることが証明されて、それが彼らの誇りでもあるらしい。少年も芝居へくるたびに必ず買うことに決めているらしい辻占せんべいと八橋《やつはし》との籠《かご》をぶら下げて、きわめて愉快そうに徘徊《はいかい》している。彼らにかぎらず、すべて幕間《まくあい》の遊歩に出ている彼らの群れは、東京の大通りであるべき京橋《きょうばし》区新富町の一部を自分たちの領分と心得ているらしく、摺《す》れ
前へ 次へ
全408ページ中33ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング