の菓子や、辻占《つじうら》せんべいや、花かんざしなどを売る店もまじっている。向う側にも七、八軒の茶屋がならんでいる。どの茶屋も軒には新しい花暖簾《はなのれん》をかけて、さるや[#「さるや」に傍点]とか菊岡《きくおか》とか梅林《ばいりん》とかいう家号を筆太《ふでぶと》にしるした提灯がかけつらねてある。劇場の木戸まえには座主《ざぬし》や俳優《やくしゃ》に贈られたいろいろの幟《のぼり》が文字通りに林立している。その幟のあいだから幾枚の絵看板が見えがくれに仰がれて、木戸の前、茶屋のまえには、幟とおなじ種類の積み物が往来へはみ出すように積みかざられている。
ここを新富町《しんとみちょう》だの、新富座だのと云うものはない。一般に島原《しまばら》とか、島原の芝居とか呼んでいた。明治の初年、ここに新島原の遊廓が一時栄えた歴史をもっているので、東京の人はその後も島原の名を忘れなかったのである。
築地《つきじ》の川は今よりも青くながれている。高い建物のすくない町のうえに紺青《こんじょう》の空が大きく澄んで、秋の雲がその白いかげをゆらゆらと浮かべている。河岸《かし》の柳は秋風にかるくなびいて、そこには釣
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