は、机のないことであった。宿に頼んで何か机を貸してくれというと、大抵の家では迷惑そうな顔をする。やがて女中が運んでくるのは、物置の隅からでも引摺り出して来たような古机で、抽斗《ひきだし》の毀れているのがある、脚の折れかかっているのがあるという始末。読むにも書くにも実に不便不愉快であるが、仕方がないから先ずそれで我慢するのほかは無い。したがって、筆や硯にも碌なものはない。それでも型ばかりの硯箱を違い棚に置いてある家はいいが、その都度《つど》に女中に頼んで硯箱を借りるような家もある。その用心のために、古風の矢立《やたて》などを持参してゆく人もあった。わたしなども小さい硯や墨や筆をたずさえて行った。もちろん、万年筆などは無い時代である。
こういう不便が多々ある代りに、むかしの温泉宿は病いを養うに足るような、安らかな暢《のび》やかな気分に富んでいた。今の温泉宿は万事が便利である代りに、なんとなくがさ[#「がさ」に傍点]ついて落着きのない、一夜どまりの旅館式になってしまった。
一利一害、まことに已《や》むを得ないのであろう。
四
万事の設備不完全なるは、一々数え立てるまでもな
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