らである。
 江戸時代には箱根の温泉まで行くにしても、第一日は早朝に品川《しながわ》を発《た》って程ヶ谷《ほどがや》か戸塚《とつか》に泊まる、第二日は小田原《おだわら》に泊まる。そうして、第三日にはじめて箱根の湯本《ゆもと》に着く。但しそれは足の達者な人たちの旅で、病人や女や老人の足の弱い連れでは、第一日が神奈川《かながわ》泊まり、第二日が藤沢《ふじさわ》、第三日が小田原、第四日に至って初めて箱根に入り込むというのであるから、往復だけでも七、八日はかかる。それに滞在の日数を加えると、どうしても半月以上に達するのであるから、金と暇とのある人びとでなければ、湯治場《とうじば》めぐりなどは容易に出来るものではなかった。
 江戸時代ばかりでなく、明治時代になって東海道線の汽車が開通するようになっても、まず箱根まで行くには国府津《こうづ》で汽車に別れる。それから乗合いのガタ馬車にゆられて、小田原を経て湯本に着く。そこで、湯本泊まりならば格別、さらに山の上へ登ろうとすれば、人力車か山駕籠に乗るのほかはない。小田原電鉄が出来て、その不便がやや救われたが、それとても国府津、湯本間だけの交通にとどまって
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