、男も女も長い袂《たもと》をあげて打つのが習いであった。
 その頃は男の児も筒袖《つつそで》は極めて少なかった。筒袖を着る者は裏店《うらだな》の子だと卑しまれたので、大抵の男の児は八《や》つ口《くち》の明いた長い袂をもっていた。私も長い袂をあげて白い虫を追った。私の八つ口には赤い切《きれ》が付いていた。
 それでも男の袂は女より短かった。大綿を追う場合にはいつも女の児に勝利を占められた。さりとて棒や箒《ほうき》を持ち出す者もなかった。棒や箒を揮《ふる》うには、相手が余りに小さく、余りに弱々しいためであったろう。
 横町で鮒《ふな》売りの声がきこえる。大通りでは大綿来い/\の唄がきこえる。冬の日は暗く寂しく暮れてゆく。自分が一緒に追っている時はさのみにも思わないが、遠く離れて聞いていると、寒い寂しいような感じが幼い心にも沁《し》み渡った。
 日が暮れかかって大抵の子供はもう皆んな家へ帰ってしまったのに、子守をしている女の児一人はまだ往来にさまよって「大綿来い/\」と寒そうに唄っているなどは、いかにも心細いような悲しいような気分を誘い出すものであった。
 その大綿も次第に絶えた。赤とんぼも
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