せ》ない女の悲しい涙のあとが残っているかも知れない。温泉場に来ているからと云って、みんなのんきな保養客ばかりではない。この古い火鉢の灰にもいろいろの苦しい悲しい人間の魂が籠《こも》っているのかと思うと、わたしはその灰をじっと見つめているのに堪えられないように思うこともある。
 修禅寺の夜の鐘は春の寒さを呼び出すばかりでなく、火鉢の灰の底から何物をか呼び出すかも知れない。宵っ張りの私もここへ来てからは、九時の鐘を聴かないうちに寝ることにした。[#地付き](大正7・3「読売新聞」)
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妙義の山霧


     (上)

 妙義町《みょうぎまち》の菱屋《ひしや》の門口《かどぐち》で草鞋《わらじ》を穿いていると、宿の女が菅笠《すげがさ》をかぶった四十五、六の案内者を呼んで来てくれました。ゆうべの雷《かみなり》は幸いにやみましたが、きょうも雨を運びそうな薄黒い雲が低くまよって、山も麓も一面の霧に包まれています。案内者とわたしは笠をならべて、霧のなかを爪さき上がりに登って行きました。
 私は初めてこの山に登る者です。案内者は当然の順序として、まずわたしを白雲山《はくうんざん》の妙
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