社の名をもって許可を受けました。
 東京通信社などはいい方で、そんな新聞があるか無いか判らないような、遠い地方の新聞社員と称して、従軍願いを出す者が続々あらわれる。陸軍省でその新聞社の所在地を訊《き》かれても、御本人はハッキリと答えることが出来ないと云うような滑稽《こっけい》もありました。陸軍側でもその魂胆を承知していたでしょうが、一社一人の規定に触れない限りは、いずれも許可してくれました。それで東京の各新聞社も少なきは二、三人、多きは五、六人の従軍記者を送り出すことが出来たのでした。
 勿論、それは内地を出発するまでのことで、戦地へ行き着くと皆それぞれに正体をあらわして、自分は朝日だとか日日だとか名乗って通る。配属部隊の方でも怪しみませんでした。しかし袖印《そでじるし》だけは届け出での社名を用いることになっていて、わたしもカーキー服の左の腕に東京通信社と紅《あか》く縫った帛《きれ》を巻いていました。日清戦争当時と違って、槍や刀などを携帯することはいっさい許されません。武器はピストルだけを許されていたので、私たちは腰にピストルを着けていました。

     *

 従軍記者の携帯品は、
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