て、若い小綺麗《こぎれい》な姐《ねえ》さんが二、三人居た。
わたしが七つか八つの頃、叔父に連れられて一度その二階に上がったことがある。火鉢に大きな薬罐《やかん》が掛けてあって、そのわきには菓子の箱が列《なら》べてある。のちに思えば例の三馬《さんば》の「浮世風呂」をその儘《まま》で、茶を飲みながら将棋をさしている人もあった。
時はちょうど五月の初めで、おきよさんという十五、六の娘が、菖蒲《しょうぶ》を花瓶《かびん》に挿《さ》していたのを記憶している。松平紀義《まつだいらのりよし》のお茶《ちゃ》の水《みず》事件で有名な御世梅《ごせめ》お此《この》という女も、かつてこの二階にいたと云うことを、十幾年の後に知った。
その頃の湯風呂には、旧式の石榴口《ざくろぐち》と云うものがあって、夜などは湯煙《ゆげ》が濛々《もうもう》として内は真っ暗。しかもその風呂が高く出来ているので、男女ともに中途の階段を登ってはいる。石榴口には花鳥風月もしくは武者絵などが画《か》いてあって、私のゆく四丁目の湯では、男湯の石榴口に水滸伝《すいこでん》の花和尚《かおしょう》と九紋龍《くもんりゅう》、女湯の石榴口には例の
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