湯とは名ばかりで、風呂じゅうをさがし廻って僅《わず》かに三つか四つの柚を見つけ出すのとは雲泥《うんでい》の相違であった。
 冬至の日から獅子舞が来る。その囃子の音を聴きながら柚湯のなかに浸っているのも、歳の暮れの忙《せわ》しいあいだに何となく春らしい暢《のび》やかな気分を誘い出すものであった。
 わたしはこういう悠長な時代に生まれて、悠長な時代に育って来たのである。今日の劇《はげ》しい、目まぐるしい世のなかに堪えられないのも無理はない。[#地付き](大正13・12「女性」)
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新旧東京雑題


     祭礼

 東京でいちじるしく廃《すた》れたものは祭礼《まつり》である。江戸以来の三大祭りといえば、麹町の山王《さんのう》、神田の明神《みょうじん》、深川《ふかがわ》の八幡として、ほとんど日本国じゅうに知られていたのであるが、その祭礼はむかしの姿をとどめないほどに衰えてしまった。たとい東京に生まれたといっても、二十代はもちろん、三十代の人では、ほんとうの祭礼らしいものを見た者はあるまい。それほどの遠い昔から、東京の祭礼は衰えてしまったのである。
 震災以後は格別、その以
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