湯とは名ばかりで、風呂じゅうをさがし廻って僅《わず》かに三つか四つの柚を見つけ出すのとは雲泥《うんでい》の相違であった。
冬至の日から獅子舞が来る。その囃子の音を聴きながら柚湯のなかに浸っているのも、歳の暮れの忙《せわ》しいあいだに何となく春らしい暢《のび》やかな気分を誘い出すものであった。
わたしはこういう悠長な時代に生まれて、悠長な時代に育って来たのである。今日の劇《はげ》しい、目まぐるしい世のなかに堪えられないのも無理はない。[#地付き](大正13・12「女性」)
[#改ページ]
新旧東京雑題
祭礼
東京でいちじるしく廃《すた》れたものは祭礼《まつり》である。江戸以来の三大祭りといえば、麹町の山王《さんのう》、神田の明神《みょうじん》、深川《ふかがわ》の八幡として、ほとんど日本国じゅうに知られていたのであるが、その祭礼はむかしの姿をとどめないほどに衰えてしまった。たとい東京に生まれたといっても、二十代はもちろん、三十代の人では、ほんとうの祭礼らしいものを見た者はあるまい。それほどの遠い昔から、東京の祭礼は衰えてしまったのである。
震災以後は格別、その以
前へ
次へ
全408ページ中104ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング