は思いやられるが、お互いのことと諦《あきら》めて別に苦情もなかったらしい。
江戸時代には十二月十三日と大抵きまっていたのを、維新後にはその慣例が頽《くず》れてしまったので、お互いに迷惑しなければならないなどと、老人たちは呟《つぶや》いていた。
もう一つの近所迷惑は、かの餅搗きであった。米屋や菓子屋で餅を搗くのは商売として已《や》むを得ないが、そのころには俗にひきずり餅というのが行なわれた。搗屋が臼《うす》や釜《かま》の諸道具を車につんで来て、家々の門内や店先で餅を搗くのである。これは依頼者の方であらかじめ糯米《もちごめ》を買い込んでおくので、米屋や菓子屋にあつらえるよりも経済であると云うのと、また一面には世間に対する一種の見栄もあったらしい。又なんという理窟もなしに、代々の習慣でかならず自分の家で搗かせることにしているのもあったらしい。勿諭、この搗屋も大勢あったには相違ないが、それでも幾人か一組になって、一日に幾ヵ所も掛いて廻るのであるから、夜のあけないうちから押し掛けて来る。そうして、幾臼かの餅を搗いて、祝儀を貰って、それからそれへと移ってゆくので、遅いところへ来るのは夜更《よふ
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