ある。私はむかしから糸瓜をおもしろいものとして眺めていたが、自分の庭に栽えるようになったのは十年以来のことで、震災以後、大久保百人町に仮住居《かりずまい》をしている当時、庭のあき地を利用して、唐蜀黍《とうもろこし》の畑を作り、糸瓜の棚を作った。その棚はわたし自身が書生を相手にこしらえたもので、素人の作った棚が無事に保《も》つかといささか不安を感じていたところが、棚はその秋の強い風雨にも恙《つつが》なく、糸瓜の蔓も葉も思うさま伸びて拡がって、大きい実が十五、六もぶらりと下がったので、私たちは子供のように手をたたいて嬉しがった。
その翌年の夏、銀座の天金の主人から、暑中見舞いとして式亭三馬《しきていさんば》自画讃の大色紙の複製を貰った。それは糸瓜でなく、夕顔の棚の下に農家の夫婦が涼んでいる図で、いわゆる夕顔棚の下涼みであろう。それに三馬自筆の狂歌が書き添えてある。
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なりひさご、なりにかまはず、すゞむべい
風のふくべの木蔭たづねて
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これを見て、わたしは再び糸瓜の棚が恋しくなったが、その頃はもう麹町の旧宅地へ戻っていたので、市内の庭には糸瓜を栽えるほどの余地をあたえられなかった。そのまま幾年を送るうちに、一昨年から上目黒へ移り住むことになったので、今度は本職の植木屋に頼んで相当の棚を作らせると、果たして其の年の成績はよかった。昨年の出来もよかった。
わたしの家ばかりでなく、ここらには同好の人々が多いとみえて、所々に糸瓜を栽えている。棚を作っているのもあり、あるいは大木にからませているのもあり、軒から家根へ這わせているのもあるから、皆それぞれにおもしろい。由来、糸瓜というものはぶらり[#「ぶらり」に傍点]と下がっている姿が、なんとなく間が抜けて見えるので、とかくに軽蔑される傾きがあって、人を罵る場合にも「へちま[#「へちま」に傍点]野郎」などと云うが、そのぶらり[#「ぶらり」に傍点]としたところに一種の俳味があり、一種の野趣があることを知らなければならない。その実ばかりでなく、大きい葉にも、黄いろい花にも野趣|横溢《おういつ》、静かにそれを眺めていると、まったく都会の塵《ちり》の浮世を忘れるの感がある。糸瓜を軽蔑する人々こそ却って俗人ではあるまいかと思う。
次は百日草で、これも野趣に富むがために、一部の人々からは安っぽく見られ易いものである。梅雨のあける頃から花をつけて、十一月の末まで咲きつづけるのであるから、実に百日以上である上に、紅、黄、白などの花が続々と咲き出すのは、なんとなく爽快の感がある。元来が強い草であるから、蒔きさえすれば生える、生えれば伸びる、伸びれば咲く。花壇などには及ばない、垣根の隅でも裏手の空地でも簇々《そうそう》として発生する。あまりに強く、あまりに多いために、ややもすれば軽蔑され勝ちの運命にあることは、かの鳳仙花《ほうせんか》などと同様であるが、わたしは彼を愛すること甚だ深い。
炎天の日盛りに、彼を見るのもいいが、秋の露がようやく繁く、こおろぎの声がいよいよ多くなる時、花もますますその色を増して、明るい日光の下《もと》に咲き誇っているのは、いかにも鮮《あざや》かである。しょせんは野人の籬落《まがき》に見るべき花で、富貴の庭に見るべきものではあるまいが、われわれの荒庭には欠くべからざる草花の一種である。
その次は薄《すすき》で、これには幾多の種類があるが、普通に見られるのは糸すすき、縞すすき、鷹の羽すすきに過ぎない。しかも私の最も愛好するのは、そこらに野生の薄である。これは宿根《しゅっこん》の多年草であるが、もとより種まきの世話もなく、年々歳々生い茂って行くばかりである。野生のすすきは到るところに繁茂しているので、ひと口にカヤと呼ばれてほとんど園芸家には顧みられず、人家の庭に栽えるものでは無いとさえも云われているが、絵画や俳句ではなかなか重要の題材と見なされている。
十郎の簑《みの》にや編まん青薄
これは角田竹冷《すみたちくれい》翁の句であるが、まったく初夏の青すすきには優しい風情がある。それが夏を過ぎ、秋に入ると、ほとんど傍若無人ともいうべき勢いで生い拡がってゆく有様、これも一種の爽快を感ぜずにはいられない。殊に尾花がようやく開いて、朝風の前になびき、夕月の下《もと》にみだれている姿は、あらゆる草花のうちで他にたぐいなき眺めである。
すすきは夏もよし、秋もよいが、冬の霜を帯びた枯れすすきも、十分の画趣と詩趣をそなえている。枯れかかると直ぐに刈り取って風呂の下に投げ込むような徒《やから》は倶《とも》に語るに足らない。しかも商売人の植木屋とて油断はならない。現に去年の冬の初めにも、池のほとりの枯れすすきを危うく刈り取られようと
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