《とお》に一つも子供たちの手には捕えられない。たとい捕え得たところで、どうなるものでもないのであるが、それでも夢中になって追いあるく。
その泥草鞋があやまって、往来の人に打ちあたる場合も少なくない。白地の帷子《かたびら》を着た紳士の胸や、白粉《おしろい》をつけた娘の横面《よこづら》などへ泥草鞋がぽん[#「ぽん」に傍点]と飛んで行っても、相手が子供であるから腹も立てない。今日ならば明らかに交通妨害として、警官に叱られるところであろうが、昔のいわゆるお巡《まわ》りさんは別にそれを咎《とが》めなかったので、私たちは泥草鞋をふりまわして夏のゆうぐれの町を騒がしてあるいた。
街路樹に柳を栽えている町はあるが、その青い蔭にも今は蝙蝠の飛ぶを見ない。勿論、泥草鞋や馬の沓などを振りまわしているような馬鹿な子供はいない。
こんなことを考えているうちに、例の馬力が魔の車とでも云いそうな響きを立てて、深夜の町を軋《きし》って来た。その昔、京の町を過ぎたという片輪車《かたわぐるま》の怪談を、私は思い出した。
停車場の趣味
以前は人形や玩具《おもちゃ》に趣味をもって、新古東西の瓦楽多《がらくた》をかなりに蒐集していたが、震災にその全部を灰にしてしまってから、再び蒐集するほどの元気もなくなった。殊に人形や玩具については、これまで新聞雑誌に再三書いたこともあるから、今度は更に他の方面について少しく語りたい。
これは果たして趣味というべきものかどうだか判らないが、とにかく私は汽車の停車場というものに就いてすこぶる興味をもっている。汽車旅行をして駅々の停車場に到着したときに、車窓からその停車場をながめる。それがすこぶるおもしろい。尊い寺は門から知れると云うが、ある意味に於いて停車場は土地そのものの象徴と云ってよい。
そんな理窟はしばらく措《お》いて、停車場として最もわたしの興味をひくのは、小さい停車場か大きい停車場かの二つであって、どちら付かずの中ぐらいの停車場はあまり面白くない。殊におもしろいのは、ひと列車に二、三人か五、六人ぐらいしか乗り降りのないような、寂しい地方の小さい停車場である。そういう停車場はすぐに人家のある町や村へつづいていない所もある。降りても人力車《くるま》一台も無いようなところもある。停車場の建物も勿論小さい。しかもそこには案外に大きい桜や桃の木などがあって、春は一面に咲きみだれている。小さい建物、大きい桜、その上を越えて遠い近い山々が青く霞《かす》んでみえる。停車場のわきには粗末な竹垣などが結ってあって、汽車のひびきに馴れている鶏が平気で垣をくぐって出たりはいったりしている。駅員が慰み半分に作っているらしい小さい菜畑なども見える。
夏から秋にかけては、こういう停車場には大きい百日紅《さるすべり》や大きい桐や柳などが眼につくことがある。真紅《まっか》に咲いた百日紅のかげに小さい休み茶屋の見えるのもある。芒《すすき》の乱れているのもコスモスの繁っているのも、停車場というものを中心にして皆それぞれの画趣を作っている。駅の附近に草原や畑などが続いていて、停車している汽車の窓にも虫の声々が近く流れ込んで来ることもある。東海道五十三次をかいた広重《ひろしげ》が今生きていたらば、こうした駅々の停車場の姿をいちいち写生して、おそらく好個の風景画を作り出すであろう。
停車場はその土地の象徴であると、わたしは前に云ったが、直接にはその駅長や駅員らの趣味もうかがわれる。ある駅ではその設備や風致《ふうち》にすこぶる注意を払っているらしいのもあるが、その注意があまりに人工的になって、わざとらしく曲がりくねった松を栽えたり、檜葉《ひば》をまん丸く刈り込んだりしてあるのは、折角ながら却っておもしろくない。やはり周囲の野趣《やしゅ》をそのまま取り入れて、あくまでも自然に作った方がおもしろい。長い汽車旅行に疲れた乗客の眼もそれに因っていかに慰められるか判らない。汽車そのものが文明的の交通機関であるからと云って、停車場の風致までを生半可《なまはんか》な東京風などに作ろうとするのは考えものである。
大きい停車場は車窓から眺めるよりも、自分が構内の人となった方がよい。勿論、そこには地方の小停車場に見るような詩趣も画趣も見いだせないのであるが、なんとなく一種の雄大な感が湧く。そうして、そこには単なる混雑以外に一種の活気が見いだされる。汽車に乗る人、降りる人、かならずしも活気のある人たちばかりでもあるまい。親や友達の死を聞いて帰る人もあろう。自分の病いのために帰郷する人もあろう。地方で失敗して都会へ職業を求めに来た人もあろう。千差万別、もとより一概には云えないのであるが、その人たちが大きい停車場の混雑した空気につつまれた時、たれもかれも一種の活気を
前へ
次へ
全102ページ中91ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング