の劇作の舞台に上《のぼ》せられた第二回目で、作者自身が武田勝頼《たけだかつより》に扮するつもりであったが、その当時わたしは東京日日新聞社に籍を置いていたので、社内からは種々の苦情が出たのに辟易《へきえき》して、急に鬼太郎君に代って貰《もら》うことにした。
山崎紫紅《やまざきしこう》君の「上杉謙信《うえすぎけんしん》」が世に出たのも此の年であったと記憶している。舞台は真砂座《まさござ》で伊井蓉峰君が謙信に扮したのである。これが好評で、紫紅君は明くる三十九年の秋に『七つ桔梗《ききょう》』という史劇集を公《おおや》けにした。松葉君はこの年の四月、演劇研究のために洋行した。文芸協会はこの年の十一月、歌舞伎座で坪内逍遥《つぼうちしょうよう》博士の「桐一葉《きりひとは》」を上演した。
若葉会は更に東京毎日新聞社演劇会と変って、同じ年の十二月、明治座で第一回を開演することになったので、私は史劇「新羅三郎《しんらさぶろう》」二幕を書いた。つづいて翌四十年七月の第二回(新富座)には「阿新丸《くまわかまる》」二幕を書いた。同年十月の第三回(東京座)には「十津川《とつかわ》戦記」三幕を書いた。同時に紫紅君の「甕破柴田《かめわりしばた》」一幕を上場した。勿論、これらはいずれも一種の素人芝居に過ぎないので、普通の劇場とは没交渉のものであったが、それでもたび重なるに連れて、いわゆる素人の書いた演劇というものが玄人の眼にも、だんだんに泌みて来たと見えて、その年の十二月、紫紅君は新派の河合武雄《かわいたけお》君に頼まれて史劇「みだれ笹」一幕(市村座)を書いた。山岸荷葉《やまぎしかよう》君もこの年、小団次《こだんじ》君らのために「ハムレット」の翻訳史劇(明治座)を書いた。
翌四十一年の正月、左団次君が洋行帰りの第一回興行を明治座で開演して、松葉君が史劇「袈裟《けさ》と盛遠《もりとお》」二幕を書いた。三月の第二回興行には紫紅君の「歌舞伎物語」四幕が上場された。その年の七月、かの川上音二郎《かわかみおとじろう》君が私をたずねて来て、新たに革新興行の旗揚げをするに就いて、維新当時の史劇を書いてくれと云った。私は承知してすぐに「維新前後」(奇兵隊と白虎隊)六幕を書いた。前の奇兵隊の方は現存の関係者が多いので、すこぶる執筆の自由を妨げられたが、後の白虎隊の方は勝手に書くことが出来た。それは九月の明治座で上演された。
もう此の後は新しいことであるから、くだくだしく云うまでもない。要するに茲《ここ》らが先ずひとくぎりで、四十二年以来は素人の脚本を上場することが別に何らの問題にもならなくなった。鉄の扉もだんだんに弛《ゆる》んで、いつとは無しに開かれて来た。勿論、全然開放とまでは行かないが、潜《くぐ》り門ぐらいはどうやらこうやら押せば明くようになって来た。
普通の劇場は一般の観客を相手の営利事業であるから、芸術本位の脚本を容れると云うまでにはまだ相当の時間を要するに相違ないが、ともかくも商売になりそうな脚本ならば、それが誰の作であろうとも、あまり躊躇《ちゅうちょ》しないで受取るようになったのは事実である。一方には文芸協会その他の新劇団が簇出《そうしゅつ》して、競って新脚本を上演して、外部から彼らを刺戟《しげき》したのも無論あずかって力がある。又それに連れて、この数年来、幾多の新しい劇作家があらわれたのは誰しも知っているところである。
新進気鋭の演劇研究者の眼から観たらば、わが劇壇の進歩は実に遅々《ちち》たるもので、実際歯がゆいに相違ない。しかし公平に観たところを云えば、成程それは兎の如くに歩んではいないが、確実に亀の如くには歩んでいると思われる。亀の歩みも焦《じれ》ったいには相違ないが、それでも一つ処に停止していないのは事実である。十六年前に、わたしがお堀端で雁の声を聴いた時にくらべると、表面はともあれ、内部は驚かれるほどに変っている。更に十年の後には、どんなに変るかも知れないと思っている。その当時、自分がひどく悲観した経験があるだけに、現在の状態もあながちに悲観するには及ばない。たとい亀の歩みでも、牛の歩みでも、歩一歩ずつ進んでいるには相違ないと云うことだけは信じている。ただ、焦ったい。しかしそれも已《や》むを得ない。
これまで書いて来たことは、専《もっぱ》ら歌舞伎劇の方面を主にして語ったものである。新派の方は当座の必要上、昔から新作のみを上場していたのは云うまでもない。しかし、その新派の方に却ってこの頃は鉄の扉が閉じられて来たらしく、いつもいつも同じような物を繰り返しているようになって来た。今のありさまで押して行くと、歌舞伎の門の方が早く開放されるらしい。私はその時節の来るのを待っている。[#地付き](大正7・11「新演芸」)
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