う書いてよいのか、自分も実は宇宙に迷って行き悩んでいるのであるから、とてもここで大きい声で脚本の書き方などを講釈するわけには行かない。何か偉そうなことをうっかり喋《しゃ》べってしまって、その議論が自分自身でも明日はすっかり変ってしまうようなことが無いとも限らない。で、そんな危《あぶ》ないことには手を着けないことにして、ここでは自分がこれまで書いた七、八十種の脚本に就いて、一種の経験談のようなものを書き列《なら》べて見ようかとも思ったが、それも長くなるのでやめた。ここではただ、素人《しろうと》の書いた脚本がどうして世に出るようになったかという歴史を少しばかり書く。
わたしはここで自分の自叙伝を書こうとするのではない。しかし自分の関係したことを主題にして何か語ろうという以上、自然に多く自分を説くことになるかも知れない。それはあらかじめお含み置きを願っておきたい。
わたしが脚本というものに筆を染めた処女作は「紫宸殿《ししんでん》」という一幕物で、頼政《よりまさ》の鵺《ぬえ》退治を主題にした史劇であった。後に訂正して、明治二十九年九月の歌舞伎新報に掲載されたが、勿論《もちろん》、どこの劇場でも採用される筈《はず》はなかった。その翌年の二月、條野採菊《じょうのさいぎく》翁が伊井蓉峰《いいようほう》君に頼まれて「茲江戸子《ここがえどっこ》」という六幕物を書くことになった。故|榎本武揚《えのもとたけあき》子爵の五稜郭《ごりょうかく》戦争を主題《テーマ》にしたものである。採菊翁は多忙だということで、榎本|虎彦《とらひこ》君と私とが更に翁の依頼をうけて二幕ずつを分担して執筆することになった。筋は無論、翁から割当てられたもので、自分たち二人はほとんどその口授のままを補綴《ほてい》したに過ぎなかった。劇場は後の宮戸座《みやとざ》であった。
それが三月の舞台に上《のぼ》ったのを観ると、わたしは失望した。私が書いた部分はほとんど跡形もないほど変っていた。私はそれを榎本君に話すと、榎本君は笑いながら「それだから僕は観に行かないよ」と云った。榎本君は福地桜痴《ふくちおうち》先生に従って、楽屋の空気にもう馴れている人である。榎本君の眼には、年の若い私の無経験がむしろ可笑《おかし》く思われたかも知れなかった。採菊翁自身が執筆の部分はどうだか知れないが、榎本君が担当の部分にも余程の大鉈《おおなた》を加えられていたらしかった。勿論、この時代にはそれがむしろ普通のことで、素人《しろうと》――榎本君は素人ではないが、その当時はまだ其の伎倆《ぎりょう》を認められていなかった――が寄り集まって書いた脚本が、こういう風に鉈を加えられたり、鱠《なます》にされたりするのは、あらかじめ覚悟してかからなければならないのであった。わたしが榎本君に対して不平らしい口吻《こうふん》を洩らしたのは、要するに演劇《しばい》の事情というものに就《つ》いて私の盲目を証拠立てているのであった。
「素人の書いたものは演劇にならない。」
それが此の時代に於いては動かすべからざる格言《モットー》として何人《なんぴと》にも信ぜられていた。劇場内部のいわゆる玄人《くろうと》は勿論のこと、外部の素人もみんなそう信じていた。今日《こんにち》の眼から観れば、みずから侮《あなど》ること甚《はなは》だしいようにも思われるかも知れないが、なんと理窟を云っても劇場当事者の方で受付けてくれないのであるから、外部の素人は田作《ごまめ》の歯ぎしりでどうにもならない。たとい鉈でぶっかかれても鱠にきざまれても、採用されれば非常の仕合せで、鉈にも鱠にも最初から問題にされてはいないのであった。もっとも福地先生はこういうことを云っていられた。
「いくら楽屋の者が威張っても仕方がない。今のままでいれば、やがて素人の世界になるよ。」
しかし、この世界がいつ自分たちの眼の前に開かれるか。ほとんど見当が付かなかった。福地先生は外部から脚本を容れることを拒《こば》むような人ではなかった。むしろ大抵の場合には「結構です」と云って推薦するのを例としていた。しかも推薦されるような脚本はちっとも提供されなかった。それには二種の原因があった。第一には、たとい福地先生は何と云おうとも、劇場全体に素人を侮蔑《ぶべつ》する空気が充満していて、外部から輸入される一切の脚本は先ず敬して遠ざけるという方針が暗々のうちに成立っていたのである。第二には、どんな鉈を受けても、鱠にされても、何でもかでも上場されればいいと云って提出されるような脚本は、実際に於いて其の品質が劣っていた。また、ある程度まで其の品質に見るべきものがあるような脚本を書き得る人は、鉈や鱠の拷問《ごうもん》に堪えられなかった。
以上の理由で、どの道、外部から新しい脚本を求めるということは不可
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