「都新聞」)
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仙台五色筆
仙台《せんだい》の名産のうちに五色筆《ごしきふで》というのがある。宮城野《みやぎの》の萩、末の松山《まつやま》の松、実方《さねかた》中将の墓に生《お》うる片葉の薄《すすき》、野田《のだ》の玉川《たまがわ》の葭《よし》、名取《なと》りの蓼《たで》、この五種を軸としたもので、今では一年の産額十万円に達していると云う。わたしも松島《まつしま》記念大会に招かれて、仙台、塩竈《しおがま》、松島、金華山《きんかざん》などを四日間巡回した旅行中の見聞を、手当り次第に書きなぐるにあたって、この五色筆の名をちょっと借用することにした。
わたしは初めて仙台の地を踏んだのではない。したがって、この地普通の名所や故蹟《こせき》に対しては少しく神経がにぶっているから、初めて見物した人が書くように、地理や風景を面白く叙述するわけには行かない。ただ自分が感じたままを何でもまっすぐに書く。印象記だか感想録だか見聞録だか、何だか判《わか》らない。
三人の墓
仙台の土にも昔から大勢《おおぜい》の人が埋められている。その無数の白骨の中には勿論、隠れたる詩人や、無名の英雄も潜《ひそ》んでいるであろうが、とにかく世にきこえたる人物の名をかぞえると、わたしがお辞儀しても口惜《くや》しくないと思う人は三人ある。曰《いわ》く、伊達政宗《だてまさむね》。曰く、林子平《はやししへい》。曰く、支倉六右衛門《はせくらろくえもん》。今度もこの三人の墓を拝した。
政宗の姓はダテと読まずに、イダテと読むのが本当らしい。その証拠には、ローマに残っている古文書《こもんじょ》にはすべてイダテマサムネと書いてあると云う。ローマ人には日本字が読めそうもないから、こっちで云う通りをそのまま筆記したのであろう。なるほど文字の上から見てもイダテと読みそうである。伊達という地名は政宗以前から世に伝えられている。藤原秀衡《ふじわらのひでひら》の子供にも錦戸太郎《にしきどたろう》、伊達次郎というのがある。もっとも、これは西木戸太郎、館《たて》次郎が本当だとも云う。太平記にも南部太郎、伊達次郎などと云う名が見えるが、これもイダテ次郎と読むのが本当かも知れない。どのみち、昔はイダテと唱えたのを、後に至ってダテと読ませたに相違あるまい。
いや、こんな詮議はどうでもいい。イダテにしても、ダテにしても、政宗はやはり偉いのである。独眼龍《どくがんりゅう》などという水滸伝《すいこでん》式の渾名《あだな》を付けないでも、偉いことはたしかに判っている。その偉い人の骨は瑞鳳殿《ずいほうでん》というのに斂《おさ》められている。さきごろの出水に頽《くず》された広瀬《ひろせ》川の堤《どて》を越えて、昼もくらい杉並木の奥深くはいると、高い不規則な石段の上に、小規模の日光廟が厳然《げんぜん》とそびえている。
わたしは今この瑞鳳殿の前に立った。丈《たけ》抜群の大きい黒犬は、あたかも政宗が敵にむかう如き勢いで吠えかかって来た。大きな犬は瑞鳳殿の向う側にある小さな家から出て来たのである。一人の男が犬を叱りながら続いて出て来た。
彼は五十以上であろう。色のやや蒼《あお》い、痩形《やさがた》の男で、短く苅った鬢《びん》のあたりは斑《まだら》に白く、鼻の下の髭《ひげ》にも既に薄い霜がおりかかっていた。紺がすりの単衣《ひとえもの》に小倉《こくら》の袴《はかま》を着けて、白|足袋《たび》に麻裏の草履《ぞうり》を穿《は》いていた。伊達家の旧臣で、ただ一人この墳墓を守っているのだと云う。
わたしはこの男の案内によって、靴をぬいで草履に替え、しずかに石段を登った。瑞鳳殿と記《しる》した白字の額を仰ぎながら、さらに折り曲がった廻廊を渡ってゆくと、かかる場所へはいるたびにいつも感ずるような一種の冷たい空気が、流るる水のように面《おもて》を掠《かす》めて来た。わたしは無言で歩いた。男も無言でさきに立って行った。うしろの山の杉木立では、秋の蝉《せみ》が破《や》れた笛を吹くように咽《むせ》んでいた。
さらに奥深く進んで、衣冠を着けたる一個の偶像を見た。この瞬間に、わたしもまた一種の英雄崇拝者であると云うことをつくづく感じた。わたしは偶像の前に頭《こうべ》をたれた。男もまた粛然として頭をたれた。わたしはやがて頭をあげて見返ると、男はまだ身動きもせずに、うやうやしく礼拝《らいはい》していた。
私の眼からは涙がこぼれた。
この男は伊達家の臣下として、昔はいかなる身分の人であったか知らぬ。また知るべき必要もあるまい。彼はただ白髪の遺臣として長く先君の墓所を守っているのである。維新前の伊達家は数千人の家来をもっていた。その多数のうちには官吏や軍人になった者もあろう、あるいは商業を営んでいる者もあ
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