。それは堀田原のある御家人《ごけにん》の家で、主人のほかに四、五人の友達が集まって、一六《いちろく》の日に栄之丞の出稽古を頼むということになった。それで乏しいながらも、どうにかこうにか食って行くだけの凌ぎは付けられるようになった。お光の奉公口もここの主人が親切に探してくれたのであった。
「兄《にい》さま。なぜこの頃は八橋さんの所へお越しにならないのでございます」
 文《ふみ》が来ても、使いが来ても、なるべく避けているらしい兄《あに》のこの頃の様子をお光は不思議に思っていたが、栄之丞は妹にその訳を明かさなかった。八橋の方からは時どきに金を送ってくれた。品物も届けてくれた。それを断わるのも辛《つら》し、受け取るのも辛いので、栄之丞はそのたびごとに言うに言われない忌《いや》な思いをさせられた。
 その次郎左衛門にきょう測《はか》らずも途中で出逢った。むこうではなんにも知らないような風で馴れなれしく話しかけたが、こっちは気が咎めてならなかった。栄之丞は早々にはずして逃げて来た。こっちの気のせいか、きょうは取り分けて次郎左衛門の眼つきがおそろしく見えた。こういう人を欺しては末がおそろしいと、彼は
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