つづけ》をしていた。彼女は栄之丞にささやいて、次郎左衛門には自分の従弟《いとこ》であるように話してあるから、お前はそのつもりで逢ってくれ。きっと幾らかの金をくれるに相違ないと言った。栄之丞は面白くなかった。いやだと振り切って帰ろうとするのを、八橋はしきりに止めた。彼は渋々ながら次郎左衛門に引き合わされて、八橋が注文通りの嘘をついてしまった。相手は別に疑うような顔を見せないで、近づきのしるしにといって百両の金を惜し気もなしにくれたが、栄之丞は恐ろしくて手が出せなかった。いくら自堕落に身を持ち崩しても、彼は決して腹からの悪人ではなかった。八橋が思うように、ひとを欺《だま》して平気ではいられなかった。ましてこれが三両や五両ではない、この時代において大枚《たいまい》百両の金をひとから欺して取ろうなどとは、彼として思いもつかないことであった。栄之丞はたって辞退してその金を受取らなかった。
 彼がその金を断わったのは、ひとを欺すことのできない彼の正直な心から出たのでもあったが、もう一つ彼を恐れさせたのは、次郎左衛門その人の容貌と態度とであった。案外に正直らしい、鷹揚《おうよう》な、しかもその底には
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