ろ」
父は財産全部を忰の前に投げ出して、自分は思い切りよく隠居してしまった。それでも先代の息のかよっている間は、若い次郎左衛門はさすがに幾らか遠慮しているらしい様子も見えたが、その父が六十一の本卦《ほんけ》がえりを済まさないで死んだのちは、もう誰に憚《はばか》るところもない。二代目の次郎左衛門は長い脇指《わきざし》の柄《つか》をそらして、方々の賭場へ大手を振って入り込んだ。父が三回忌の法事を檀那寺で立派に営んだ時には、子分らしい者が大勢《おおぜい》手伝いに来ていて、田舎かたぎの親類たちを驚かした。足利の姉は涙をこぼして帰った。それは次郎左衛門が二十二の春であった。
次郎左衛門には栃木の町に許婚《いいなずけ》の娘があったが、そんなわけで破談となった。妾《めかけ》を二、三人取り替えたことはあったが、一度も本妻を迎えたことはなかった。いかに大家でも旧家でも、今の次郎左衛門に対して相当の家から娘をくれる筈はなかった。次郎左衛門の方でも野暮《やぼ》がたい田舎娘などを貰う気はなかった。彼はいつまでも独身《ひとりみ》で気ままに暮らしていた。
彼は博奕場へ入り込むようになってから、ある浪人者に就
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