とこ》を持っているんでごぜえますよ」
去年の春は治六もちっとも気がつかなかったが、ことしの春になって彼はその噂を聞き出した。八橋には若い浪人者の馴染みがあって、起請《きしょう》までも取り交した深い仲である。治六はそれを主人に注意しようと幾たびか思ったが、確かな証拠もなしにそんなことを訴えたところで、とても取り合ってくれる気遣いもないと考えたので、今まで一度も口に出さなかったのであった。
彼は今夜初めてその秘密を洩らした。
三
八橋の男に宝生栄之丞《ほうしょうえいのじょう》という能役者《のうやくしゃ》あがりの浪人者があった。両親《ふたおや》に死に別れてから自堕落《じだらく》に身を持ち崩して、家の芸では世間に立っていられないようになった。妹のお光《みつ》と二人で下谷《したや》の大音寺《だいおんじ》前に小さい家を借りて、小鼓指南《こづつみしなん》という看板をかけていたが、弟子入りする者などほとんど一人もなかった。八橋は素人《しろうと》の時から栄之丞を識っていた。廓《くるわ》へはいって栄之丞を客にするようになってから、二人の親しみはいよいよ細《こま》やかになって来た。
治
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