の人間と見積もられたのは甚《はなは》だ心外である。妹が言うまでもない。それは自分から進んでその潔白を明らかにしなければならないと思った。それにつけても妹の突き詰めた様子が不安でならなかった。
「よし、よし、万事はおれに任せて置け。決して短気を起してはならないぞ。ここでお前がうっかりしたことをすると、あれ見ろ、あいつは悪い事をした申し訳なさに自滅したと、かえって理を以《も》って非に陥るようなことになる。くれぐれも無分別なことをしてくれるなよ」
彼は噛んでふくめるように妹をさとして、きょうはおとなしく帰っていろ、いずれ改めておれが掛け合いに行くと言い聞かせた。
こうしてお光を帰して置いて、栄之丞はその翌日堀田原へ出向いて行った。お光はここの主人の世話で三河屋の寮へ奉公するようになったのであるから、その関係上まずここへその事情を明らかに断わって置かなければならないと思ったからであった。
小身《しょうしん》ながらも武士であるから、堀田原の主人もその話を聴いて眉をしわめた。それは気の毒なことで、御迷惑お察し申すと栄之丞|兄妹《きょうだい》に深く同情した。しかしそれは一種の蔭口に過ぎないので、主人から表向きになんの話があったというでもない。お光に暇を出すと言ったのでもない。女同士の朋輩の妬み猜《そね》みは珍らしくないことで、その蔭口や悪口を取《と》っこにとって、こっちから改めて掛け合いめいたことを言い込むのは、却っておとなげない、穏やかでない。正直か不正直かは長い目で見ていれば自然に判る。まず当分はなんにも言わずに辛抱しているがよかろうと、彼は栄之丞を懇々《こんこん》説いてなだめた。
「なるほど、ごもっともでござります」
その場はすなおに得心して出たが、栄之丞もまだ若かった。事にこそよれ、兄妹がぐる[#「ぐる」に傍点]になって二十両の金を掠《かす》めたと疑われているらしいのが、どう考えても不快で堪まらなかった。堀田原を出て、途々《みちみち》でもいろいろに考えたが、やはり一応は主人に逢って自分たちの潔白を証明して置く方がいい。それが妹の後来《こうらい》のためであるとも考えたので、彼は堀田原の主人の意見にそむいて橋場の寮へ足を向けた。
案内を乞うと、お光が取次ぎに出て来た。
「兄さま。いいところへ……。もう少し前からお店《たな》の旦那さまがお出《い》でになりまして……」
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