ねん》の奉公人をむやみに勘当するというのは……」と、亭主は次郎左衛門の無情を罵るように言った。
「いや、これもわしが至らねえからでごぜえますよ」
治六はゆうべの吉原の一条を話した。それを聴いて亭主はいよいよ気の毒になった。八橋の身請けのことも元来自分が知恵をつけたのである。それがもとで治六が勘当されるようなことになっては、いよいよ黙って見ている訳には行かなくなった。しかし今が今といってはどうにもならないのを知っているので、いずれそのうちにいい折りを見てもう一度詫びを入れてやろう。これが一季半季の渡り奉公というではなし、児飼いから馴染みの深い奉公人である。一旦は腹立ちまぎれに何と言おうとも時が過ぎれば機嫌が直るに相違ない。まずそれまでおとなしく待っている方がよかろうと、亭主は親切に治六をなだめた。
「ここの家《うち》に置くのは訳もないが、主人から勘当されたお前さんをそのまま泊めて置くというのは、旦那に楯を突くようでどうも穏やかでない。ともかくも近所の宿屋へ引き取って、二、三日待っていてもらいたい」
それも一応は尤《もっと》もにきこえるので、治六は素直に承知して佐野屋を引き払うことにした。出る時にもう一度二階へ行って、しきい越しにしおしお[#「しおしお」に傍点]と手をついた。
「旦那さま。長々お世話になりました」
次郎左衛門は返事もしなかった。
七
治六が心配するまでもなく、これから先きをどうするかということは、次郎左衛門の胸を強くおしつけている問題であった。治六や佐野屋の亭主は、金のあるうちにどうにかしろと言うけれども、次郎左衛門はそれと反対に、金のあるうちはどうすることも出来ないと思っていた。彼は同時に二つの仕事を抱えるほどの余裕をもたなかった。金のあるあいだは八橋に逢うのが唯一《ゆいいつ》の仕事で、とてもほかの仕事に取りかかれそうもなかった。金のあるあいだは何を考えても無駄なことだと、彼は自分で見切りを付けていた。
その金がいよいよなくなったらどうする――その時になったら初めてなんとか考えよう、又なんとかいい考えも出るだろうと、彼は努めてなんにも考えないようにしていた。
「治六の馬鹿野郎」
それにつけても腹立たしいのはゆうべの治六であった。八橋を身請けするほどならば、あいつらの知恵を借りるまでもなく、おれが自分から進んで立派に身請けをする
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