る妹に優しく言った。
 彼が堀田原の知りびとをきょう訪ねたのも、その用向きであった。妹のお光ももう明ければ十八になる。年頃の娘を浪々の兄の手もとにおいて、世帯《しょたい》やつれをさせるのも可哀そうだと思って、彼は妹のために然るべき奉公口を探していた。なるべく武家奉公をと望んでいたのであるが、どうも思わしい口が見つからなかった。しかし町家ならば相当の口があると、その人が親切に言ってくれた。町人といっても、人形町《にんぎょうちょう》の三河屋という大きい金物問屋で、そこのお内儀《かみ》さんがとかく病身のために橋場《はしば》の寮に出養生をしている。台所働きの下女はあるが、ほかに手廻りの用を達《た》してくれる小間使いのような若い女がほしい。年頃は十七、八で、あまり育ちの悪くない、行儀のよい、おとなしい娘がほしいというのである。別に忙がしいというほどの用もない、給金はまず一年一両二分と決めておいて、当人の辛抱次第で着物の移り替えその他の面倒も見てやる。もし長年《ちょうねん》するようならば、嫁入りの世話までしてやってもいいというので、まず結構な奉公口である。そこへ妹をやってはどうだと勧められて、栄之丞も考えた。
 浪々しても宝生なにがしの妹を町家の奉公には出したくない。たとい小身《しょうしん》でも陪臣《ばいしん》でも、武家に奉公させたいと念じていたのであるが、それも時節で仕方がない、なまじいに選り好みをしているうちに、だんだんに年が長《た》けてしまっても困る。何もこれが嫁にやるという訳でもない、長くて二年か三年の奉公である。こういう奉公口を取りはずして後悔するよりも、いっそ思い切ってやった方がよかろうと決心して、何分よろしく頼むと挨拶して帰って来た。
 帰ってゆっくりとその話をすると、お光にも別に故障はなかった。
「兄《にい》さまさえ御承知ならば、わたくしは何処へでもまいります」
 すなおな妹の返事を聞くと、栄之丞も何だかいじらしいような暗い心持ちになった。自分がまじめに家《いえ》の芸を継いでいれば、家には相当の禄も付いている。貧乏しても奉公人の一人ぐらいは使っていられるのに、今はその妹が却って町人の家へ奉公に行く。妹にはなんの罪もない。悪い兄をもったのが禍いである。結構な口を見付けたといいながらも、兄の心はやっぱり寂しかった。
「わたくしが居なくなりますと、兄さまおひとりではさ
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