これは花魁へいつもの土産だといって、二百両の金包みを出した。浮橋にも十五両やった。
「これで花魁も浮かみ上がるでおざんしょう」と、浮橋は自分も生き返ったように喜んでいた。
「今ここへ来る途中で、栄之丞さんに丁度|逢《あ》ったよ」と、次郎左衛門は杯を浮橋にさしながら言った。
 どこで逢ったと訊き返したので、雷門まえで逢ったというと、浮橋は黙って少し考えているらしかった。この頃こっちへ来るかと訊くと、浮橋はちっとも寄り付かないと答えた。八橋と喧嘩でもしたのかと訊くと、そんな訳でもないらしいとのことであった。
 いい加減な嘘をついているのだと治六は思っていた。しかしそれは客に対する新造の駈け引きでもなんでもなかった。じっさい栄之丞はこの冬の初め頃から八橋のところへ顔を見せないのであった。使いをやっても碌《ろく》に返事もよこさなかった。二、三日まえにも使いを出して、ぜひ相談したいことがあるからちょいと来てくれと言ってやったら、当時は病気で外へ出られないという返事であった。その栄之丞が雷門まえをうろうろ歩いていたというのは、浮橋にもちっと解《げ》せなかったが、今はそれを詮議している場合でもないので、彼女は寄らず障らずの廓ばなしなどをして、しばらくその席をつないでいたが、花魁の八橋は容易に茶屋へ姿を見せなかった。
 女房も八橋があまり遅いのを待ちかねて、もう一度催促をやろうかと言った。
「いいえ、わたしが見てきいんしょう」
 浮橋は自分で兵庫屋へ引っ返して行った。番頭新造《ばんとうしんぞう》の掛橋《かけはし》に訊くと、花魁は急に癪が起ったので医者よ針よと一時は大騒ぎをしたが、やっと今落ち着いたとのことであった。浮橋はすぐに花魁の部屋へ行って見ると、八橋は蒼《あお》い刷毛《はけ》でなでられたような顔をして、緞子《どんす》に緋縮緬《ひぢりめん》のふちを取った鏡蒲団《かがみぶとん》の上に枕を抱いていた。
 八橋は明けて十九になろうという若い遊女で、しもぶくれのまる顔で、眼の少し細いのと歯並みの余りよくないのとを疵にして、まず仲の町張りとしてひけを取りそうもない上品な花魁であった。彼女は持病の癪にひどく苦しんだと見えて、けさ結ったばかりの立兵庫《たてひょうご》がむしられたようにむごたらしく掻き散らされて、その上に水色|縮緬《ちりめん》の病い鉢巻をだらりと垂れていた。自分の源氏名《げんじ
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