うのであった。亭主も夢のように思われてならなかった。
「なにしろ、もう七、八年前から身代《しんだい》も痛み切っていたところへ、去年も吉原で二千両ほども遣う。ことしもそれに輪をかけて三千両ほども撒き散らす。それじゃあとても堪《たま》らねえ」と、治六は投げ出すように言った。「去年江戸から帰ってすっかり堅気になって辛抱しなさるようだったから、まあいい塩梅《あんばい》だとわしらも喜んでいたんだが、なあに、やっぱり駄目なことさ。おまけに今年の秋は八朔《はっさく》と二百|十日《とおか》と二度つづいた大暴《おおあ》れで田も畑もめちゃめちゃ。こうなったら何も悪いことだらけで……。それにわしらが知っているのも知らねえのもあったが、田地のいい所は四、五年まえから大抵よそへ抵当《かた》にはいっている。それが四方から一度に取り立てに来たんだから、いやもう埒《らち》はねえ」
「それで大家《たいけ》もばたばた[#「ばたばた」に傍点]と没落したんだね」と、亭主は深い溜め息をついた。
「それでも足利のおあねえ様や分家の手合いが寄り集まって、何とか埒《らち》をあけることに苦労しているんだが、どうも右から左に纏《まと》まりそうもねえ。つまり、旦那は自分の身上《しんしょう》をみんな投げ出して、親類の人たちにあとの始末をいいように頼んで、空身《からみ》で生まれ故郷を立ち退くことになったのさ。空身といっても千両ほどの金をもっている。それを元手に江戸で何か商売でも始めるつもりだから、この後もまあよろしく願いますよ」
「千両……。古河《ふるかわ》に水絶えずだね」と、亭主は感心したように言った。「それだけの元手がありゃあ、江戸でどんな商売でもできますよ。千両はさておいて、百両あっても気強いものさ」
 二階で治六を呼ぶ声がきこえるので、彼はそそくさと煙管《きせる》をしまって起《た》ちあがった。

     二

 暗い行燈《あんどう》の前で、次郎左衛門は黙って石町《こくちょう》の四《よ》つ(午後十時)の鐘を聴いていた。治六は旅の疲れでもう正体もなく寝入ってしまったらしいが、彼の眼は冴えていた。彼は蒲団の上に起き直って、両手を膝に置いてじっと考えていた。師走の江戸の町には、まだ往来の足音が絶えなかった。今夜の霜の強いのを悲しむように、屋根の上を雁《がん》が鳴いて通った。
 次郎左衛門も今夜はすぐに吉原へ行かなかった。
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