そうして、大きい声で久助を呼んだ。呼ばれて久助は駈けてきたが、彼はもう酔っていた。
「な、なんでございます。」
「鷲の羽音がきこえる。支度をしろ。」
主従二人は直ぐに身支度をして表へ駈けだした。こうなると、他の人々も落着いてはいられなくなった。いずれも半信半疑ながら、思い思いに身支度をした。中には多寡《たか》をくくって、着のみ着のままでひやかし半分に駈けだすのもあった。
出て見ると、それは弥太郎の空耳ではなかった。昼のように明るい冬の月が晃々《こうこう》と高くかかって、碧落《へきらく》千里の果てまでも見渡されるかと思われる大空の西の方から、一つの黒い影がだんだんに近づいてきた。それは鳥である。鷲である。あの高い空の上を翔《かけ》りながら、あれほどの大きさに見えるからは、よほどの大鳥でなければならない。
「旦那さま。尾白でしょうか。」と、久助は勇んだ。
「まだ判らない。騒ぐな。静かにしろ。」
弥太郎は鉄砲を取直した。久助は固唾《かたず》をのんだ。鳥は次第に舞い下がってきて、静かな夜の空に一種の魔風を起すような大きい羽音は、だれの耳にも、もうはっきりと聞えるようになった。いかに明るいといっても、月のひかりだけでは果たして尾白であるかどうかは判らなかったが、それが稀有の大鳥であることは疑いもなかった。
「旦那さま……。」と、久助は待ちかねるように小声で呼んだ。
「また騒ぐ。待て、待て。」
物に慣れている弥太郎は、鳥の影がもう着弾距離に入ったと見ても、まだ容易に火蓋《ひぶた》を切らなかった。鳥は我れをうかがう二つの人影が地上に映っているのを知るや知らずや、大きい翼《つばさ》に颯《さっ》という音を立てて、弥太郎らのあたまの上を斜めに飛んでゆくのを、二人もつづいて追って行った。弥太郎がまだ火蓋を切らないのは、鳥がどこへか降り立つと見ているからであった。
果たして鳥の影はいよいよ低く大きくなって、欅《けやき》の大樹へ舞いさがろうとした。そのとたんに弥太郎の火蓋は切られた。鳥は一旦撃ち落されたように地に倒れたが、翼を激しく働かせて再び飛び立とうとするので、弥太郎はつづけて又撃った。それにもかかわらず、鳥は舞いあがった。そうして、風のような早さで大空高く飛び去った。
「ああ。」と、久助は思わず失望の声を洩らした。
鳥の影はまだ見えていながら、もう着弾距離の外にあることを知っている弥太郎は、いたずらに空を睨んでいるばかりであった。
この時、あなたの欅の大樹――あたかもかの大鷲の落ちた木かげで、奇怪な女の笑い声がきこえた。
「はは、かたきは殺された。ははははは。」
「なに、かたきが殺された……。久助、見て来い。」
久助は駈けて行ったが、やがて顔色をかえて戻って来た。彼は吃《ども》って、満足に口がきけなかった。
「旦那さま……。若旦那が……。」
「又次郎がどうした。」
「は、はやくお出でください。」
欅の大樹の前には石地蔵が倒れていた。大樹のかげには又次郎が倒れていた。そのそばに笑って立っているのは、お島の妹のお蝶であった。
第一発の弾で鷲の落ちたのは、弥太郎も久助も確かに認めた。第二発のゆくえは……。その問いに答えるべく、又次郎の死骸がそこに横たわっているのであった。弥太郎は無言でその死骸をながめていた。久助は泣き出した。お蝶はまた笑った。その笑い声の消えると共に、彼女《かれ》はばたりと地に倒れた。
おくれ馳せにかけつけた人々は、この意外の光景におどろかされた。どの人も酔いがさめてしまった。
又次郎は急病ということにして、その死骸を駕籠に乗せて、あくる朝のまだ明けきらないうちに江戸へ送った。駕籠の脇には久助が力なげに附添って行った。彼が大師の茶屋で広言を吐いた頼政の鵺退治も、こんな悲しい結果に終ったのである。お蝶の死骸はもちろんその両親のもとへ送られたが、身うちには何の疵《きず》の跡もないので、どうして死んだのか判らなかった。
そのなかでも特に不審を懐いているのは、かの久助であった。又次郎がどうして欅のかげに忍んでいたのか、又そのそばにお蝶がどうして笑っていたのか。二人のあいだにどういう関係があるのか。彼は江戸から引っ返して来て、その詮議のために角蔵の家をたずねると、彼はおいおいに快方にむかって、床の上でもう起き直っていた。かれら夫婦は自分の娘の死を悲しむよりも、若旦那の死を深く悼《いた》んでいた。
久助の詮議に対して、角蔵はこんな秘密をあかした。今から十六年前の秋、彼は甲州の親類をたずねて帰る途中、笹子峠の麓の小さい宿屋に泊ると、となりの部屋に三十前後の上品な尼僧がおなじく泊り合せていた。尼僧は旅すがたで、当歳《とうさい》かと思われる赤児を抱いていた。その話によると、かれが信州と甲州の境の山中を通りかかると、どこかで赤児の泣く声がきこえる。不思議に思って見まわすと、年古る樟《くす》の大樹に鷲の巣があって、その巣のなかに赤児が泣いているのであった。あたかもそこへ来かかった木樵《きこり》にたのんで、赤児を木の上から取りおろしてもらって、ともかくもここまで抱いてきたが、長い旅をする尼僧の身で、乳飲み子をたずさえていては甚だ難儀である。なんとかしてお前の手で養育してくれまいかと、かれは角蔵に頼んだ。
その赤児は尼僧の私生児であろうと、角蔵は推量した。鷲の巣から救い出して来たなどというのは拵えごとで、尼僧が自分の私生児の処分に困って、その貰い手を探しているのであろうと推量したので、彼は気の毒にも思い、また一方には慾心を起して、もし相当の養育料をくれるならば引取ってもいいと答えると、尼僧は小判一両を出して渡した。角蔵はその金と赤児とを受取って別れた。その尼僧は何者であるか、それから何処へ行ったか、その消息はいっさい不明であった。
角蔵夫婦にはお島という娘がある。赤児も女であるので、その妹として養育した。甲州の親類からよんどころなく引取ってきたと世間には披露して、その名をお蝶と呼ばせていた。同情が半分、慾心が半分で貰ってきた子ではあるが、元来が正直者の角蔵は、わが子とおなじようにお蝶を可愛がって育てた。お蝶はもちろんその秘密を知らないので、夫婦を真実の親として慕っていた。
「今までは尼さんの作り話だと一途《いちず》に思いつめていましたが、こうなるとお蝶が鷲の巣にいたというのも本当で、お蝶と鷲とのあいだに何かの因縁があるのかも知れません。」と、角蔵は不思議そうに言った。
「お蝶は乱心しているらしいと、若旦那さまは言っていたが……。そんな因縁付きの娘だということは、誰も知らなかった。」と、久助は言った。「なにしろ若旦那がこんなことになったので、お島さんも気ちがいのようになって泣いていたよ。」
若旦那とお島との秘密、それは角蔵夫婦も知らないのであった。
又次郎の変死は宿の者どもにも堅く口留めをして置いたのであったが、いつか世間に洩れきこえて狭い村じゅうの噂にのぼったので、父の弥太郎もおなじく病気と披露して江戸へ帰ることになった。
江戸へ帰って五日目に、弥太郎もまた急病死去という届け出でがあった。相続人の又次郎は父よりも先に死んでいるのみならず、別に急養子を迎えにくい事情もあるので、和田の家は断絶した。
弥太郎が撃ち洩らした鳥は、果たして尾白であったかどうだか判らなかったが、ともかくもその一季ちゅうに尾白の姿を認めた者はなかった。記録によると、その翌年、すなわち文政十二年の冬に、尾白の大鷲は鉄砲方の与力《よりき》池田貞五郎に撃ち留められたとある。
底本:「鷲」光文社文庫、光文社
1990(平成2)年8月20日初版1刷発行
初出:「婦人公論」
1932(昭和7)年7月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくってい ます。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2006年10月31日作成
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