いくらお前が受合っても、相手は空飛ぶ鳥……。」と、お松は再び不安らしい溜息をついた。
「今もいう通り、組内でもいろいろの噂をしているので、もし仕損じるようなことがあったら、人に顔向けも出来ないので……。」
 尾白の鷲は上総の山から海を越えて来るともいい、あるいは甲州の方角から来るともいう。いずれにしても、これほどの大きい鳥はかつて見たことがないと、羽田附近の者も不思議がっている位である。おととしは十月の二十日の暮れがたに姿をあらわしたのを、鉄砲方の岩下重兵衛が撃ち損じた。去年は十一月の八日の真昼に姿をあらわしたのを、鉄砲方の深谷源七が撃ち損じた。それから二時《ふたとき》ほどの後に、鷲はふたたび海岸近く舞い下がって来たという注進《ちゅうしん》を聞いて、鉄砲方の矢崎伝蔵が直ぐに駈けつけたが、弾《たま》は左の羽を掠《かす》めただけで、これも撃ち洩らしてしまった。
 ことしの八月十五夜、組頭《くみがしら》の屋敷で月見の宴を開いたときに、席上でかの尾白の鷲の噂が出て、おととし撃ち損じた岩下も、去年撃ち損じた深谷と矢崎も、いささか面目をうしなった形で、しきりに残念がっていると、その席に列《つら》なっていた和田弥太郎は、なんと思ったか声を立てて呵々《からから》と笑った。彼はただ笑ったばかりで別になんの説明も加えなかったが、場合が場合であるから、その笑い声は一座の興《きょう》をさました。
 岩下ら三人の未熟を笑ったのか、あるいは我れならばきっと仕留めてみせるという自信の笑いか、いずれその一つとは察せられたが、弥太郎は組内の古参といい、鉄砲にかけても老練の巧者であることを諸人もよく知っているので、さすがに正面から彼を詰問する者もなかったが、その不快が陰口《かげぐち》となって表われた。それは今もお松が言ったように――いかに和田でも、羽田の尾白は仕留められまい。もし仕損じたら笑い返してやれ――。
 弥太郎は武士|気質《かたぎ》の強い、正直|律義《りちぎ》の人物であったが、酒の上がすこしよくないので、酔うと往々に喧嘩口論をする。みんなもその癖を知っているのではあるが、その夜の弥太郎の笑い声はどうも気に食わなかったのである。弥太郎も醒めてから後悔したが、今さら仕様もない。この上は問題の尾白を見つけ次第に、自分の筒先《つつさき》で撃ち留めるよりほかはなかった。自分の腕ならば、おそらく仕損じはあるまいという自信もあった。
 しかしその家族らの胸の奥には一種の不安が忍んでいた。かれらは主人の腕前を信じていながらも、それが稀有《けう》の猛鳥であると聞くからは、どんな仕損じがないとはいえない。幸か不幸か、弥太郎は去年もおととしも年番ではなかったので、抜かぬ太刀の功名を誇っていられるが、ことしは年番で出張《でば》って、もし仕損じたというあかつきには、待ちかまえている人々が手を叩いて笑うであろう。実際、諸人の前で大口をあいて笑った以上、今度は自分が笑われても致し方がないのである。それを思うと、妻のお松も、せがれの又次郎も、家の面目、世間の手前、容易ならぬ大事であるように考えられた。薄々その事情を洩れ聞いている女中のお島もおみよも、同じく落着いてはいられなくなった。取分けてお島は気を痛めて、近所の白山|権現《ごんげん》へ夜まいりを始めた。
 お松の主従が今日この大師堂で出逢ったのは、お島の母と妹である。お島は羽田村の漁師角蔵のむすめで、主人の弥太郎が羽田に出張《でば》る関係から、双方が自然知合いになって、お島は江戸の屋敷へ奉公することになったのである。父は角蔵、母はお豊、妹はお蝶、揃いも揃って正直者であった。その正直者の親子のところへ、江戸屋敷のお島から手紙が来て、ことしの鷲撃ちは旦那さまのお年番で、しかもお身の一大事であるというようなことを内々で知らせてよこしたので、親子三人もおどろいた。
 さりとて、かれらの力でどうなる事でもないので、この上は神ほとけの力を頼むよりほかはない。母のお豊と妹のお蝶が連れだって、日ごろ信仰する川崎大師へ参詣に出て来たのも、それがためであった。お松と久助が遠い江戸からここへ参詣に来たのも、やはりそれがためであった。同じ縁日に、おなじ願いごとで参詣に来た親子と主従とがここで出逢ったのは、偶然に似て偶然でもなかった。
 こうして落合って、話し合っていると、お松に溜息の出るのも無理はなかった。お豊はもう涙ぐんでいた。そうして、あたりを見まわしながら小声でこんなことを言い出した。
「今も久助さんの仰しゃる通り、旦那さまのお腕前では万に一つもお仕損じはないこととは存じますが……。それでも何かのはずみで、もしもの事でもございましたら、旦那さまは……。」
 言いかけて、お豊は声を立てて泣き出した。娘のお島の手紙によると、もしその尾白に出逢って仕損じるようなことがあれば、旦那さまはふだんの御気性として、あるいは御切腹でもなさるかも知れないというのである。御新造さまの前で、まさかにそれを言い出すわけにもいかなかったが、その不安が胸を衝《つ》いて来て、お豊はとうとう泣き出したのである。お豊に泣かれてはお松の眼もうるんだ。お蝶もすすり泣きを始めた。
 切腹――その不安は言わず語らずのあいだに、すべての人の魂をおびやかしているのである。そのなかで、唯ひとり冷《ひや》やかに構えているのは久助で、彼は気の弱い女たちを歯がゆそうに眺めながら、しずかに煙草をのんでいたが、もう堪《た》まらなくなったように笑い出した。
「おい、おい。おっかあや妹は何を泣くんだ。ことしは内の旦那さまがあの尾白を一発で撃ち落して、組じゅうの奴等に鼻を明かしてやるんだ。おっかあ、おめえ達もその時にゃ赤の飯《まんま》でも炊いて祝いねえ。鯛は商売物だから、世話はねえ。」
 主人の弥太郎は笑うまじき所で笑った為に、こうした不安の種を播《ま》いたのである。主《しゅう》を見習うわけでもあるまいが、その家来の彼もまた笑うまじき場合にげらげら笑っているのである。人のいいお豊も少しく腹立たしくなったらしく、眼をふきながら向き直った。
「わたしらはなんにも判らない人間ですから、こういう時には人一倍に心配いたします。そうして、お前さんは旦那さまのお供をしなさるのかえ。」
「知れたことさ。」と、久助はまた笑った。「おっかあ、おめえは浅草の観音さまへ行ったことがあるかえ。」
 いよいよ馬鹿にされているような気がするので、お豊もあざ笑った。
「なんぼ私らのような田舎者でも、浅草の観音さまぐらいは知っていますのさ。」
「そんなら観音堂の額《がく》を見たろう。あのなかに源三位《げんざんみ》頼政の鵺《ぬえ》退治がある。頼政が鵺を射て落すと、家来の猪早太《いのはやた》が刀をぬいて刺し透すのだ。な、判ったか。旦那さまが頼政で、この久助が猪早太という役廻りだ。鷲撃ちの時にゃあ、おれもこんな犬おどしの木刀を差しちゃあ行かねえ。本身の脇指をぶっ込んで出かけるんだから、そう思ってくれ。あははははは。」
 彼はそり返って又笑った。

     三

 十月|朔日《ついたち》の明け六つに、和田弥太郎は身支度して白山前町の屋敷を出た。息子の又次郎と下男の久助もそのあとについて行った。又次郎はことし二十歳《はたち》であるが、父の弥太郎が立派にお役を勤めているので、彼は今もまだ無役の部屋|住《ず》みである。しかも又次郎にかぎらず、たとい部屋住みでも十五歳以上の者は見習いとして、その父や兄に随行することを黙許されていた。
 見習いというのであるから、役向きの人々の働きを見物しているだけで、自分が鉄砲を撃ち放すことを許されないのである。殊にその時代の鉄砲は頗《すこぶ》る高価で、一挺十五両|乃至《ないし》二十両というのであるから、いかに鉄砲組でも当主は格別、部屋住みの者などは本鉄砲を持っていないのが例であった。又次郎は幸いにその鉄砲を持っていたので、菰《こも》づつみにして携えて行くことにした。
 きょうは朔日でもあり、殊に今年は鷲撃ちの年番にあたって出張るのである。いわば戦場へ出陣の朝も同様であるので、和田の屋敷では赤の飯を炊いて、主人の膳には頭《かしら》つきの魚が添えてあった。旧暦の十月であるから、この頃の朝は寒い。ゆうべは木枯しが吹きつづけたので、けさの庭には霜が白かった。
 又次郎も身支度をして部屋を出ると、女中のお島が忍ぶように近寄って来た。
「若旦那さま、どうぞお気をお付け遊ばして……。」
「むむ。留守をたのむぞ。」
 お島はまだ何か言いたいらしかった。又次郎もすこし躊躇《ちゅうちょ》していると、それを叱るような父の声が玄関からきこえた。
「又次郎。なにをしている。早く来い。」
「唯今……。」と、又次郎は若い女中を押しのけるようにして玄関へ出てゆくと、父はもう草鞋を穿《は》いていた。
 木枯しは暁《あ》け方から止んでいたが、針を含んでいるような朝の空気は身にしみて、又次郎は一種の武者ぶるいを感じた。どんな覚悟を持っているか知らないが、弥太郎は始終冷静の態度で、口もとには軽い笑みを含んでいるようにも見えた。それにもまして、久助は勇んでいた。彼はあたかも主人の功名《こうみょう》を予覚しているように、大事のお鉄砲を肩にして大股に歩いて行った。お松もお島もおみよも門前まで出て見送った。
 羽田村の百姓富右衛門の家が鉄砲方の詰所になっているので、弥太郎はまずそこに草鞋をぬいで、先月以来ここに詰めている先番の人々に挨拶した。
「うけたまわれば、鳥は一向に姿を見せぬそうでござるが……。」
「当年は時候があたたかいせいか、九月中は一羽も姿を見ませんでした。しかし二、三日このかた、急に冬らしくなって参りましたから、おいおいに寄って来ることと思われます。」と、先番の人々は答えた。
 そのなかには弥太郎の仕損じを笑ってやろうと待ちかまえている者もあることを、又次郎も久助も知っていた。ここで一応の挨拶を終って、弥太郎は自分の座敷へ案内された。新参の若い与力や同心らは広い座敷にごたごたと合宿しているが、弥太郎は特に離れ座敷へ通されたのである。以前は当主の父の隠居所で、今は空家《あきや》になっているのを、鷲撃ちの時節には手入れや掃除をして、出張る役人に寝泊りさせるのを例としていた。
 弥太郎は先年もこの隠居所に通されたことがあるので、家内の勝手をよく心得ていた。東南へ廻り縁になっている八畳の座敷のほかに、六畳と三畳の二間が付いているので、座敷には弥太郎、六畳には又次郎、三畳には久助、皆それぞれの塒《ねぐら》を定めて、弥太郎の鉄砲は床《とこ》の間《ま》に飾った。又次郎の鉄砲は戸棚にしまいこんだ。それらが片付いて、まずひと息つくと、どこやらで鉄砲の音がきこえた。
「あ。」と、又次郎と久助は同時に叫んだ。
「見て来い。」と、弥太郎は奥から声をかけた。
 久助はすぐに駈けだして母屋《おもや》へ行ったが、やがて引っ返してきて、一羽の鷲のすがたが沖の空に遠くみえたので、持場の者が筒を向けた。しかもあまりに急いで、弾《たま》の届くところまで近寄らないうちに火蓋《ひぶた》を切ったので、鳥はそのまま飛び去ってしまった。ただしそれは尾白などというものではなく、鷹に少し大きいくらいの仔鷲《こわし》であったと報告した。
「未熟者はとかくに慌ててならぬ。戦場でもそうだが、敵を手もとまで引寄せて撃つ工夫が肝腎だぞ。」と、弥太郎はわが子に教えた。
 その夜はまた木枯しが吹き出して、海の音がかなりに強かったので、又次郎はおちおち眠られなかった。あくる朝は晴れているので、又次郎はまず起きた。つづいて久助、弥太郎も起きた。あさ飯を食って、身を固めて、三人が草鞋の緒を結んでいるところへ、母屋から作男《さくおとこ》が何者をか案内してきた。
「旦那さま方にお目にかかりたいと申して参りましたが……。」
「誰が来た。」と、久助は訊いた。
「浜におります漁師の角蔵でござります。」
「むむ、角蔵か。」
「女房と二人づれで参りました。」
 なんと返事をしたものかと、久助は無言で主人の顔色を窺うと、弥太郎
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