岡本綺堂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)正五九《しょうごく》の

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)大師|詣《もう》での

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]とした。
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     一

 今もむかしも川崎の大師は二十一日が縁日で、殊に正五九《しょうごく》の三月《みつき》は参詣人が多い。江戸から少しく路程《みちのり》は離れているが、足弱《あしよわ》は高輪《たかなわ》あたりから駕籠《かご》に乗ってゆく。達者な者は早朝から江戸を出て草履《ぞうり》か草鞋《わらじ》ばきで日帰りの短い旅をする。それやこれやで、汽車や電車の便利のない時代にも、大師|詣《もう》での七、八分は江戸の信心者《しんじんもの》であった。
 これもその信心者の一人であろう。四十を一つ二つも越えたらしい武家の御新造《ごしんぞ》ふうの女が、ひとりの下男《げなん》を供につれて大師の門前にさしかかった。文政十一年の秋ももう暮れかかる九月二十一日朝の四つ半頃(午前十一時)で、大師河原の芦《あし》の穂綿《ほわた》は青々と晴れた空の下に白く乱れてなびいていた。
 この主従は七つ(午前四時)起きをして江戸の屋敷を出て、往きの片道を徒《かち》で歩いて、戻りを駕籠に乗るという世間なみの道中であるらしく、主人の女はもうかなりに疲れたらしい草履の足をひき摺っていた。下男はいわゆる中間《ちゅうげん》で、年のころは二十四、五の見るから逞《たく》ましそうな男ぶりであった。彼は型のごとくに一本の木刀をさして、何かの小さい風呂敷づつみを持って、素足に草鞋をはいていた。
「お疲れでござりましょう。万年屋でひと休み致してまいればよろしゅうござりました。」と、彼は主人をいたわるように言った。
「御参詣も済まないうちに休息などしていては悪い。御参詣を済ませてから、ゆるゆると休みましょう。」
 女はわざと疲れた風を見せないようにして、先に立って大師の表門をくぐると、前にもいう通りきょうは九月の縁日にあたるので、江戸や近在の参詣人が群集して、門内の石だたみの道には参下向《まいりげこう》の袖《そで》と珠数《じゅず》とが摺れ合うほどであった。女も手首に小さい珠数をかけていた。
 その人ごみのあいだを抜けて行くうちに、女はふと何物をか見付けたよう
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