急に冬らしくなって参りましたから、おいおいに寄って来ることと思われます。」と、先番の人々は答えた。
 そのなかには弥太郎の仕損じを笑ってやろうと待ちかまえている者もあることを、又次郎も久助も知っていた。ここで一応の挨拶を終って、弥太郎は自分の座敷へ案内された。新参の若い与力や同心らは広い座敷にごたごたと合宿しているが、弥太郎は特に離れ座敷へ通されたのである。以前は当主の父の隠居所で、今は空家《あきや》になっているのを、鷲撃ちの時節には手入れや掃除をして、出張る役人に寝泊りさせるのを例としていた。
 弥太郎は先年もこの隠居所に通されたことがあるので、家内の勝手をよく心得ていた。東南へ廻り縁になっている八畳の座敷のほかに、六畳と三畳の二間が付いているので、座敷には弥太郎、六畳には又次郎、三畳には久助、皆それぞれの塒《ねぐら》を定めて、弥太郎の鉄砲は床《とこ》の間《ま》に飾った。又次郎の鉄砲は戸棚にしまいこんだ。それらが片付いて、まずひと息つくと、どこやらで鉄砲の音がきこえた。
「あ。」と、又次郎と久助は同時に叫んだ。
「見て来い。」と、弥太郎は奥から声をかけた。
 久助はすぐに駈けだして母屋《おもや》へ行ったが、やがて引っ返してきて、一羽の鷲のすがたが沖の空に遠くみえたので、持場の者が筒を向けた。しかもあまりに急いで、弾《たま》の届くところまで近寄らないうちに火蓋《ひぶた》を切ったので、鳥はそのまま飛び去ってしまった。ただしそれは尾白などというものではなく、鷹に少し大きいくらいの仔鷲《こわし》であったと報告した。
「未熟者はとかくに慌ててならぬ。戦場でもそうだが、敵を手もとまで引寄せて撃つ工夫が肝腎だぞ。」と、弥太郎はわが子に教えた。
 その夜はまた木枯しが吹き出して、海の音がかなりに強かったので、又次郎はおちおち眠られなかった。あくる朝は晴れているので、又次郎はまず起きた。つづいて久助、弥太郎も起きた。あさ飯を食って、身を固めて、三人が草鞋の緒を結んでいるところへ、母屋から作男《さくおとこ》が何者をか案内してきた。
「旦那さま方にお目にかかりたいと申して参りましたが……。」
「誰が来た。」と、久助は訊いた。
「浜におります漁師の角蔵でござります。」
「むむ、角蔵か。」
「女房と二人づれで参りました。」
 なんと返事をしたものかと、久助は無言で主人の顔色を窺うと、弥太郎
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