一円五十銭は今考えると嘘のようであるが、それでも余り安い方ではないという評判であった。そのせいか、門に近い方の一軒は塞《ふさ》がっていたが、となりの一軒は明いていた。
ふさがっている方の借家人は矢田友之助という大蔵省の官吏であった。そのころは官吏とはいわない、官員といっていたのである。矢田はことし二十四、五で、母のお銀とふたり暮しであったが、たとい末班でも官員さんの肩書をいただいている以上、一ヵ月一円五十銭の家賃を滞納するようなこともなく、無事に一年あまりを送っていた。
「友さんは遅いねえ。」
ひとりごとを言いながら、母のお銀は格子をあけて表を見た。明治十三年九月の末の薄く陰った宵で、柱時計が今や八時を打ったのを聞いてから、お銀は長火鉢の前を離れて門口《かどぐち》へ出たのであった。
せがれの友之助は独身の若い者であるから、残り番だとか宿直だとか名をつけて、時どきは夜おそく帰ったり、泊って来たりすることもある。お銀もそれを深く咎めようとはしなかったが、親ひとり子ひとりの家庭であるから、せがれの帰らない夜はなんとなく寂しい。今夜も遅いのか、それとも帰らないのかと、お銀は単衣《ひとえも
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