やってしまいましてね。旦那をのせて帰ってくると、すぐそこの角で暗いなかから若い女が不意に出て来たので、あっと思って梶棒を振り向けようとする間もなしに、相手を突っこかしてしまったんです。」
「よっぽどひどい怪我でもしましたか。」と、お銀は顔をしかめながらまた訊いた。
「なに、半分|轢《ひ》きかかって危うく踏みとまったので、たいした怪我はないようです。それでも転んだはずみに手や足を摺りむいたりしましたからね。早くいえば出逢いがしらで、どっちが悪いという訳でもないんですが、なにしろ怪我をさせた以上は、そのままにもしておかれませんや。旦那も大変に気の毒がって、いろいろ手当てをしているようです。」
 電車や自動車はなし、自転車も極めて少ないこの時代における交通事故は、馬車と人力車にきまっていた。馬車もさのみ多くはなかったが、人力車が衝突したとか人力車に轢かれたとかいう事故は、毎日ほとんど絶えなかった。
 今夜の出来事もその一つである。お銀はやはり顔をしかめながら聞いていると、お新がそばから喙《くち》を出した。
「どこの娘さんか知りませんけれど、服装《なり》はいいというほどじゃありませんけれど、容貌《きりょう》はなかなかいいんですよ。なんでも士族さんの娘さんでしょうね。」
 士族さんなどという言葉が、この時代には盛んに用いられた。お銀の家も中国辺のある藩の士族さんであった。
 それだけの話を聞いてしまって、お銀は自分の家へ引っ込むと、せがれの友之助が帰って来た。かれは母から今夜の話を聞かされても、別に気にも留めないらしかった。前にもいった通り、人力車に突き当ったり轢かれたりするのは珍しくもなかったからである。

     二

 溝口医師の車にひかれた娘は、幸いにたいした怪我でもなかった。ひき倒されて転んだときに、左の臂《ひじ》と左の足とを摺りむいただけのことで、出血の多かった割合に傷は浅かったので、溝口もまず安心した。
 あくる日一日は無理に寝かしておいたが、娘は次の日から跛足《びっこ》をひきながら起きた。しかし彼女はここを立去ろうともしないで、そのままこの家に居据《いすわ》っていることになった。というのは、彼女は帰るべき家を持たないからであった。
 溝口医師の家は久住弥太郎という旗本の屋敷で、かのむすめはその用人を勤めていた箕部五兵衛の子で、その名をお筆というのであると自分
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