倫敦の一夜
岡本綺堂

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(例)[#地から1字上げ](大正八年六月 倫敦にて)
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 六月二十八日の午後六時、ハイド・パークの椅子によりながら講和条約調印の号砲を聞いた。号砲は池のほとりで一発又一発とつづけて打ち出されるので、黄い烟が青い木立のあいだを迸り出て、陰った空の下に低く消えてゆくのが眼の前にみえる。一隊ごとに思い思いのユニフォームを着けた少年軍が、太鼓をたたき、喇叭を吹きながら、足並をそろえて公園へ続々と繰込んでくる。今にも降り出しそうに暗い大空の下にも、一種のよろこびの色が漂って来たが、そこらに群がっている人たちは左のみに動かない。講和条約の調印――それは既定の事実だと云うような顔をしてみんな冷かに沈黙しているらしくも見えた。これが代表的英国人というのかも知れないと私は思った。
 宿へ帰ると、晩餐のテーブルに珍しく日本酒が出ている。いよいよ平和克復の祝意を表するのだと云って、ふだんは無口の主婦も今夜は流石ににこにこしている。われわれも無論祝意を表して、更に夜の市中の光景を観る
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