いられなかった。宵に軍鶏屋《しゃもや》を出たときの勇気と大胆とは、今の林之助の頭からは吹き消したように消え失せていた。
「こうなればお絹を捨てるか、お里にそむくか」
 二つに一つに決めてしまわなければ、彼は一日も安心していられないように思われた。両手に桃桜などという洒落れた詞《ことば》は、林之助にはいっさい不通用であった。彼は桃か桜か、そのひと枝を大事に守っていなければ気が済まなかった。ものすごい蛇の眼を恐れていながらも、まったくお絹を見捨て得なかったのも、こうした正直な心のわずらいであった。世間普通の人の眼から見たらば、多寡が蛇つかいの女と水茶屋の女と、そんな女の二人や三人がなんだと言うかも知れない。それができないのを林之助はくやしく思った。腑甲斐《ふがい》なく思った。意気地なしだとも思った。彼はそこに自分の美しい魂を見いだし得ないで、かえって自分の馬鹿正直さが情けないようにも思われてならなかった。
 それでも彼はやはりその美しい魂に支配されていた。どちらかの女に対して自分の罪を詫びて、あきらかに一人を捨てて一人を取ろうと決心した。しかも、これまでの行きがかりから言うと、彼はどうして
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