、お花は林之助に会釈《えしゃく》して舞台へ出て行った。出るときに豊吉を見返って、火鉢の大薬罐《おおやかん》を頤《あご》でさした。
「あたしの引っ込んで来るまでに、よく沸かして置いて頂戴よ。からだを拭くんだから」
「あい、あい」
「姐さんがいないと思って乙《おつ》う幅を利かすね」と、お若はお花のうしろ姿を見送って言った。
「へん、馬鹿にしていやあがる」と、豊吉は罵るように言った。「からだが拭きたけりゃ大川へでもぽんぽん[#「ぽんぽん」に傍点]飛び込むがいいや」
「でも、きょうは姐さんの代りを勤めているんだから、仕方がないさ」と、お若は妬ましそうに言った。
「姐さんはよっぽど悪いのかね」
 林之助に訊かれて、お若はすぐにうなずいた。
「そりゃまったく悪いらしいんですよ。なんでもおとといの晩は大変にお酒を飲んで、夜風に吹かれてそこらを夜なかまでうろうろ[#「うろうろ」に傍点]していたんで、風邪を引いたらしいですよ」
「おとといの晩……」と、林之助はすこし考えた。「一体どこでそんなに飲んだんだろう」
 ふだんからお花とは余り仲のよくないらしいお若は、この問いに対して無遠慮にべらべら[#「べらべ
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