執り殺すなら、殺してみろ」
 こういう口の下から、彼は言い知れぬ恐怖に囚《とら》われて、とてもお絹の呪いに堪えられないような不安をも感じた。これまでの義理も捨てられなかった。うるさいとは思いながらも、その情けのこまかい味わいを忘れることはできなかった。考え疲れた彼のあかつきの夢は、胸へ這いあがって来る青い蛇にうなされた。
 あくる朝はなんだか気分が快《よ》くなかった。ゆうべよく眠れなかったのと、寝衣《ねまき》で夜露に打たれたのとで、からだが鈍《だる》いようにも思われた。お絹をたずねる約束をはっきり記憶していながらも、林之助は早朝から屋敷を出てゆく元気もなかった。そのうちに主人の使いで牛込まで行かなければならないことになったので、彼はとうとう両国橋を渡る機会を失ってしまった。
「留守にまた押し掛けて来やあしまいか」
 あやぶみながら帰って来たが、お絹はきょうは姿を見せなかったらしい。誰もたずねて来なかったという門番の話を聴いて林之助はまずほっとした。その日は一日陰っていて、夕方から霧のような雨がしとしと[#「しとしと」に傍点]と降って来た。急に袷《あわせ》が欲しいほどに涼しくなって、疝気
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