あ気を付けて……」
「はい。ありがとうございます」と、お里は頼りないような声で挨拶した。
 それが何となしに哀れを誘って、林之助はいっそ彼女の家まで一緒に送って行ってやろうかとも思ったが、自分も屋敷の門限を気遣っているので、このうえ道草を食っているわけにはいかなかった。そのままお里に別れて橋を渡り過ぎながらふと見かえると、堤の柳は夜風に白くなびいて、稲荷のやしろの大きい銀杏《いちょう》のこずえに月夜|鴉《がらす》が啼いていた。白地の浴衣を着て俯向き勝ちに歩いてゆくお里のうしろ姿が、その柳の葉がくれに小さく見えた。
 五、六間もゆき過ぎたかと思うと、あずま下駄のあわただしい音が、うしろから林之助を追って来た。振り向いてみると、それはお里であった。彼女は林之助にわかれると急に寂しく心細くなったので、ちっとぐらい廻り路をしてもいいから、自分も柳原堤をまっすぐに行かずに、林之助と一緒に向柳原へまわって、それから外神田へ出ようというのであった。ふたりはまた一緒にあるき出した。
「しかし、向柳原まで来ちゃあ余程の廻り路になる。じゃあ、いっそわたしがお前の家まで送ってあげよう」と、林之助も見かねて言
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