ている。人目には妬《ねた》ましく見えそうなこの姿を、お絹が見たらなんと思うであろう。林之助は自分のうしろから蛇の眼がじっと覗いているようにおののかれて、俄かにあたりを見まわすと、明るい月は頭の上から二人をみおろして、露の沁み込んだ大道の上に二つの影絵を描いていた。夜ももう更けているらしかった。
「いつも一人で帰るの」
「いいえ」
列び茶屋の或る家に奉公しているお久《ひさ》という女がやはりお里の近所に住んでいるので、毎晩誘いあわせて一緒に帰ることにしていたが、きょうはその女が店を休んだので、お里は連れを失って寂しく帰る途中であった。彼女が顔馴染みの林之助に声をかけたのも、ひっきょうは帰り途のさびしいためであった。この頃、柳原の堤《どて》に辻斬りが出るという物騒な噂があるので、お里はそんなことを言い出して足がすくむほど顫《ふる》えていた。しかしそれは闇夜のことで、昼のように明るい月夜に辻斬りなどがめったに出るものではないと、林之助は力をつけるように言い聞かせた。向柳原へ帰る彼は、堤の中途から横に切れて、神田川を渡らなければならなかった。
「わたしはあっちへいくんだから、ここでお別れだ。ま
前へ
次へ
全130ページ中39ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング