たしに構わずに寝ておしまいよ」と、お絹はうるさそうに俯向きながら言った。
お君は起って格子を閉めに行ったが、やがて引っ返して来てお絹の枕もとに坐った。縁の下でじいじい[#「じいじい」に傍点]と刻んでゆくような虫の声が又もや耳についた。どこかの隙き間から忍び込んで来る夜の冷たい風に、行燈のうす紅い灯が微かにちろちろ[#「ちろちろ」に傍点]と揺らめいて、痩せおとろえた秋の蚊がその火影に迷っていた。
「もうお前、お寝よ。あしたの朝、眠いから」
「あたし、今夜は起きていますわ」
「あたしはもういいんだよ」
「でも、こんなに癇がたっていて、どんなことがあるかも知れませんもの。姐さん、ほんとうにからだを大事にしてくださいよ」
「いいよ、判っているよ」と、お絹は邪慳《じゃけん》に叱りつけた。
叱られてもお君はまだそこにしょんぼりと坐っていた。露地のなかで犬の声がきこえたので、もしや林之助がまた引っ返して来たのではないかと、お君はそっと起って行って雨戸の外に耳を澄ましたが、犬の声はしだいに遠くなって、溝板《どぶいた》の上には誰も忍んでいるような気配もきこえなかった。
「誰か来たの」と、お絹は急に顔
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